「選択と集中」を採用した国家は、ショックに対して脆弱になる

先日、去年行われた津田塾大学准教授の萱野稔人さん、早稲田大学教授の東浩紀さん、首都大学東京教授の宮台真司さん、慶応大学教授の片山杜秀さんの4人で行ったニコニコ生放送というWebサイトでの討論の番組を見ていたのですが、宮台さんがこれからの時代の政治家の役割というものについて、(まあ、ある意味で逆説的にですが)面白い発言をしていたので、今回はその宮台さんの発言をもとにこれからの時代の政治、あるいは政治家の役割というものについて考察してみたいと思います。

宮台: 確かにね、下から意見を集約できるような、もともとのソフト的なインフラがあれば良かったけどなかった。要するに火災を含めた省庁縦割りもそれを超える政治的な力があればよかったけどなかった。しかし、どっちから手当てできるかというと、それは政治の方ですよ。政治の方が省庁縦割りを超えてある種強権的にね、やる必要があるところに優先順位をつけてやっていくしかないですよそれは、

東: 今、(ニコニコ生放送で書き込まれた)コメントでね。そもそも被災地を復興するべきか語れって出たんだけど、それは語るって話じゃなくて、ある区域の人たちに「ここ復興しないよ」って言わなけりゃならないワケですよ。だから議論するってことではなくて、議論してる人達はいっぱいいるわけですよ。だけど、それを実行する能力ってのは全然別の能力で、それは熟議では進まないんですよ残念ながら。

宮台: いやいや、これもね熟議でクリアできるの「ここを放棄すべきだ」っていう理屈をつければいいの。それはね、例えば日本で20ミリシーベルトっていう年間ね、これはウクライナがキエフ、ベラルーシ1ミリシーベルト年間ですよ、で(日本は)20ミリシーベルト、こんな高い許容値であればね帰ってもいいですよってなってもね、もちろん乳幼児がいる子、あるいは放射能が怖い人は帰らないワケですよ。だから実際1割から3割くらいしか帰らない、だから当然自立した経済復興は出来ない。八百屋やってようが散髪屋やってようが客がいない。これはなんでこうなったのかといえば簡単に言えば住民の意見を聞くのではなくて、簡単に言えばポピュリズムですよ住民に言って巨大な反対運動が起きるのが怖いから、多くの人が帰れればいいなーってことで20ミリでやった結果地域がバラバラになっちゃった。
日本の思想~民主主義からネットまで~ 2/2 ニコ論壇時評2012現代

ここから、宮台氏は復興のレベルを数段階に分け、放射能が1ミリシーベルト以下に抑えられている区域、経済や商業を発達させる特区、あるいは全く復興を放棄する区域を行政のレベルで決定し、それに対して明確なロジックを与えた上で、住民を説得して納得させその上で住民自身にどの区域に居住するかを決定させろと述べます。

→ 次ページ:「復興不可能な被災地は切り捨てられるのが当たり前?」を読む

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西部邁

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コメント

    • 森川和美
    • 2013年 11月 07日

    宮台・東の議論はアメリカの法学者サンスティーンの議論を踏まえ熟議を土台にした「参加型民主主義」で自治を行おうというもので、それができないとき日本政府は優先順位をつけて、最終的には復興不可能な地域には予算をつけないと言うものだと思います。
    彼らの議論の土台にあるのは「小さな政府と大きな社会」です。これは資本の移動を含む産業のグローバル化が不可避である現状を肯定しつつも自分たちが住む地域のことは自分たちで決めるという大原則(地方自治)のもとで(予算配分や情報公開などの)優先順位を決めていきましょうということです。その議論が被災地でできなければ政府が出てきて「選択と集中」を(やむを得ず)やらなければならないという事態になるから松本龍元復興大臣は智慧を出した地域に優先して予算をつけると言ったのでしょう。
    韓国に関して言えば国家が出張って産業構造改革を行った結果、一部の財閥にだけ富が集中するという歪んだ資本主義が形成され、それが社会の腐食をもたらしていると考えます。

    • 自由主義者
    • 2013年 11月 10日

    では弱者を救うために税率90%になって「悪平等」な社会主義国になっても良いのでしょうか。

    弱者を救うということは、強者への(正当な)分配を無くしてみんな手を繋いでゴールするということです。

    ちなみに、著者が「弱者切り捨て」と批判するところのギリシャやイタリアは高負担かつ公務員優遇という「大きな政府」なのですけど、ギリシャやイタリアがダメなら「平等な分配政策」が敗北したと言うことになりますよ。

    • 萩原和紀
    • 2013年 11月 28日

    選択と集中というのは公共投資の商業的利潤化であり、それは地方の切り捨てになるという訳ですね、つまりは、採算性が無い地方なら尚

    更財政による公共投資は必要であり、政府の借金(便宜上の借金という解釈であり国民から見れば貸した金である)が増えることになって

    もこれからの為、将来世代の為に公共財は残さねばならないという事でしょうね。

     そして、イタリア、ギリシャは緊縮財政を迫られ公共投資が出来ない、つまりは経済成長が許されない状況に有り、更にはガス、水道

    電力の民営化による国民への負担の増加も考慮すれば正に(社会性、公共性の否定)であって、それはその国や地域に住む人々への人間性

    の否定になると思われます。

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