「選択と集中」を採用した国家は、ショックに対して脆弱になる
- 2013/11/5
- 社会
- 宮台真司, 東浩紀
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復興不可能な被災地は切り捨てられるのが当たり前?
いわゆる切り捨てと効率化の議論でありますが、さらに氏はこの切り捨てと効率化の議論を被災地以外の日本社会やあるいは世界全体にまで広げて、次のように説明します。
宮台: 出来るだけコストを小さくしながら新しい時代に適応することが要求されているワケでね、そういうわけでコスト無しってのは無理ですよ転換期なんだから、何かを切り捨てるワケですよね。被災地であれば復興不可能なところは切り捨てられるのが当たり前なんですよ。それは日本もそうでもはや将来性のない産業領域が切り捨てられるのは当たり前、ある意味ではIMFの管理下に入った韓国のように中山間地は放棄しなければならないって可能性だってあります。
東: だけどこれ、宮代さんそういう残酷なこと言っててですね、「俺は世田谷区に住んでるから大丈夫だ」ですよ、今宮台さんがおっしゃってるのは。と、言われるわけですよ本当に、というのは僕たち東京に住んでて、だかた東京で草の根のボトムアップの自治でって、でも例えばそれが、どこの地方都市でもいいですけど、地元の商店街がどんどん空洞化してるところで熟議もへったくれもないだろうと、どんどん人が流通してるじゃないかっていうこと絶対に言われると思うんですけど、どうお返ししますか?
宮台: それ僕はいつも言われてますよ。あのね、これ韓国のようなやり方をどう考えるかだよね。韓国は24あった財閥を6つに統合して、簡単に言えば中山間地を放棄したんでしすよね。で、農業自給率も2割を切ってしまった。物凄い賭けですよね?でも考え方としては、1回選択と集中で回復をした後、もう一度再開拓というか、もう一度入植していくわけ中山間地にってこういう考え方です。で、日本は危機に陥れば、場合によってそういう可能性もあるってことを抽象的に申し上げた。でね、あと一つは恵まれたところから成功事例を作っていくことが実は大事。
さらに、宮台氏はこの後続けて、イタリアや韓国の緊縮財政にも触れ、日本もどこかで切り捨てと合理化を行わなければならないその決断と、それを国民に納得させるための熟議が政治家の役割であると述べます。しかし、このような選択と集中は本当に合理的なのでしょうか?
現実のイタリアや韓国の現状を見れば、韓国は大学・短大進学率80%を超える超学歴社会でありながら、大卒者の失業率は38%に達しており、一方イタリアは15~24歳の若年失業率が40%を突破するような状況が発生しています。一度、選択と集中を行い、その後再び社会を再構築しようにも、例えば現在の若年層が世の中を支配するような年代に達した時を想像すると、世の中を支配する世代の人間達の約半数がまともな職業経験や社会経験をほとんど有していないという状況が発生します。
さらに、この人々は職に就いていないがために、前の世代から引き継がなければならない現場のレベルで継承されるべき職業的な技能や知識が全く欠落した状況で社会や企業が抱える様々な危機に対応しなくてはならないのです。このような状況で、果たして、宮台氏の主張するように切り捨てと特化を中心とした選択と集中によって崩壊した社会をもう一度スムーズに再構築することなど可能なのでしょうか?私には非常に疑問に思えます。
一方で、このような議論とは全く逆のロジックを用いた議論も存在します。滋賀大学准教授の柴山桂太さんが、その代表的な論者であるのですが、つまり、選択と集中により弱者や将来性のない産業を切り捨てた国家から社会が崩壊し、逆に、どれだけ政府の負担を増加させてでも、社会全体をしっかりと支えていこうという意思を持ち、実際にそのような選択を行った国家だけがなんとか危機を乗り越えていけているという議論です。
柴山: もちろん今後の成長のこともあるのですが、今見たように世界的に、もう大変なことになっているワケですよね。で、ある意味、今世界中で政府の借金をどこまで増やせるか競争をやってると思うんですよ。ていうのは、今民間はアメリカだろうが、中国だろうがヨーロッパだろうが全部ダメ、で、変に緊縮財政をやったところから滅びるパターンになっているって、今そういう状況になっているんですよ、ギリシャがその典型ですよね?政府が借金を小さくして民間が投資するって世界だったらいいかもしれないけど、今はその政府しかもはや需要を作る能力を持ってないので世界的にね、中国とかBRICSもダメだからね。そうするとヨーロッパのユーロの国みたいに政府の借金を圧縮して緊縮財政をやった瞬間に凄まじい失業状態になっていくと。
で、アメリカももしこの後緊縮財政をやれば確実にそうなりますよ。なので、ある意味その指導力の勝負っていうのは、どうやって公共事業を含めて政府の、だって民間が借金してくれないワケですから、民間が全然投資してくれないワケだから、政府投資を拡大していくことが出来るかって競争。で、この競争から脱落した国からダメになっていくって意味では、今これ本当に大事な問題なんですよね。
(2/3【討論!】第二の矢、日本経済レジリエンス計画を推進せよ[桜H25/10/12])
ここで言っている政府の借金を拡大して具体的に何を行うのかといえば、一つには東北の復興であり、中山間部のインフラの整備であり、たとえ将来性大幅な収益を上げる見込みが少なくとも、様々なその産業を国内に残しておけるように政府が需要を創出するのだということでしょう。つまり、これは宮台氏が主張とは全く真逆に、被災地、中山間部、将来性の無い産業といったものを切り捨てていった国から社会が崩壊し、取り返しのつかない状況に陥り、逆に、それらを政府がどれだけ負債を拡大させてでも支え続けた国家がなんとか生き残っていけるという議論なのです。
コメント
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宮台・東の議論はアメリカの法学者サンスティーンの議論を踏まえ熟議を土台にした「参加型民主主義」で自治を行おうというもので、それができないとき日本政府は優先順位をつけて、最終的には復興不可能な地域には予算をつけないと言うものだと思います。
彼らの議論の土台にあるのは「小さな政府と大きな社会」です。これは資本の移動を含む産業のグローバル化が不可避である現状を肯定しつつも自分たちが住む地域のことは自分たちで決めるという大原則(地方自治)のもとで(予算配分や情報公開などの)優先順位を決めていきましょうということです。その議論が被災地でできなければ政府が出てきて「選択と集中」を(やむを得ず)やらなければならないという事態になるから松本龍元復興大臣は智慧を出した地域に優先して予算をつけると言ったのでしょう。
韓国に関して言えば国家が出張って産業構造改革を行った結果、一部の財閥にだけ富が集中するという歪んだ資本主義が形成され、それが社会の腐食をもたらしていると考えます。
では弱者を救うために税率90%になって「悪平等」な社会主義国になっても良いのでしょうか。
弱者を救うということは、強者への(正当な)分配を無くしてみんな手を繋いでゴールするということです。
ちなみに、著者が「弱者切り捨て」と批判するところのギリシャやイタリアは高負担かつ公務員優遇という「大きな政府」なのですけど、ギリシャやイタリアがダメなら「平等な分配政策」が敗北したと言うことになりますよ。
選択と集中というのは公共投資の商業的利潤化であり、それは地方の切り捨てになるという訳ですね、つまりは、採算性が無い地方なら尚
更財政による公共投資は必要であり、政府の借金(便宜上の借金という解釈であり国民から見れば貸した金である)が増えることになって
もこれからの為、将来世代の為に公共財は残さねばならないという事でしょうね。
そして、イタリア、ギリシャは緊縮財政を迫られ公共投資が出来ない、つまりは経済成長が許されない状況に有り、更にはガス、水道
電力の民営化による国民への負担の増加も考慮すれば正に(社会性、公共性の否定)であって、それはその国や地域に住む人々への人間性
の否定になると思われます。