『日本式正道論』第二章 神道

『直毘霊』

 本居宣長が41歳のときの作品である『直毘霊』において、神の道が語られています。〈神の道に随ふとは、天の下治め給ふ御行為は、ただ神代より有りこしまにまに物し給ひて、いささかも賢しらを加へ給ふことなきをいふ。さて、然神代のまにまに大らかに治ろしめせば、おのづから神の道は足らひて、他に求むべきことなきを、「自づから神の道有り」とはいふなりけり〉とあります。人の小賢しい浅知識の交わらない、神代から続く大らかな、おのずからの神の道で十分だと言うのです。
 ですが、『古事記』について、〈古の大御世には、道といふ言挙げもさらになかりき。故れ、古言に、葦原の瑞穂の国は、神ながら言挙げせぬ国といへり。其はただ物にゆく道こそ有りけれ。美知とは、此の記に味し御路と書ける如く、山路野路などの路に、御てふ言を添へたるにて、ただ物に行く路ぞ。此をおきては、上つ代に、道といふものはなかりしぞかし〉とあるように、日本の古代には道を特別視する見方は希薄でした。それは、〈かの異し国の名に倣ひていはば、是ぞ上もなき優れたる大き道にして、実は道あるが故に道てふ言なく、道てふことなけれど、道ありしなりけり〉とあり、秩序が実現されていたが故に、道を道々しく説くことがなかったというのです。
 では何故、わざわざ言う必要のなかった道を、道として述べる必要が出てきたのでしょうか。それは、〈然るを、やや降りて、書籍といふ物渡り参ゐ来て、其を学び読む事始まりて後、其の国の手風をならひて、やや万づのうへに交へ用ゐらるる御代になりてぞ、大御国の古の大御手風をば、取り別けて神の道とは名づけられたりける。そは、かの外つ国の道々に紛ふがゆゑに、神といひ、また、かの名を借りて、ここにも道とはいふなりけり〉というわけです。つまり、海外からの書籍に習い、古の神々の御代を神の道と名付けたのです。
 その神の道に対し、どう接するのかというと、〈故れ、古語にも、当代の天皇をしも神と申して、実に神にし座しませば、善き悪しき御うへの、論ひをすてて、ひたぶるに畏み敬ひ奉仕ふぞ、まことの道にはありける〉と、善悪に関わらず、ひたすらに神の道に従うことがまことの道だと説かれています。これは一見すると暴論のようですが、中国の王道が覇道に転落した歴史を鑑みると、この皇道にも大きな知恵が含まれていることが分かります。天皇の権威により、歴史の連続性を保つことができるからです。
 この日本の神の道は、〈そも、此の道は、いかなる道ぞと尋ぬるに、天地のおのづからなる道にもあらず。是をよく弁別へて、かの漢国の老荘などが見と、ひとつにな思ひ紛へぞ。人の作れる道にもあらず。此の道はしも、可畏きや高御産巣日の神の御霊によりて、世の中にあらゆる事も物も、皆悉に此の大神の御霊より成れり。神祖伊邪那岐の大神・伊邪那美の大神の始め給ひて、世の中にあらゆる事も物も、此の二柱の大神より始まれり。天照大神の受け給ひ、保ち給ひ、伝へ給ふ道なり。故れ、是を以て神の道とは申すぞかし〉と語られています。神の道は、天地自然の道でもなく、老荘思想の道でもなく、人の作った道でもないのです。神の道は、日本の神々によって現れ始まった道なのです。天照大神により受け継ぎ、保ち、伝え行く道なのです。
 この神の道は、〈其の道の意は、此の記を始め、もろもろの古書どもをよく味はひみれば、今もいとよく知らるるを〉と述べられ、『古事記』や『日本書紀』などの古書を見れば分かる道だとされています。
 そこでは、臣下が天皇の道に従うことが説かれます。〈あな可畏、天皇の天の下治ろしめす道を、下が下として、己が私の物とせむことよ〉と、私心が否定されています。〈下なる者は、かにもかくにもただ上の御趣けに従ひ居るこそ、道には叶へれ〉とあり、私心ではなく道に従うことが諭されているのです。〈貴き賤しき隔ては、うるはしくありて、おのづからみだりならざりけり。これぞこの神祖の定め給へる、正しき真の道なりける〉というわけで、貴賤は麗しく、おのずからあるのです。貴賤が麗しくあるということから、貴賤が単なる階級意識なのではなく、神々への信仰を基にした概念であることがわかります。
 その神髄は、〈程々にあるべき限りのわざをして、穏(おだ)ひしく楽しく世を渡らふほかなかりしかば、今はた其の道といひて、別(こと)に教へを受けて、行ふべきわざはありなむや〉と表現されています。程々にあるべき限りを尽くして、穏やかに楽しく世を渡ればよいのだとされています。それが、日本の道なのだというのです。

『玉勝間』

 本居宣長が63歳のときの作品である『玉勝間』においても道が語られています。
 まずは学問にて道を知ることについて、〈がくもんして道をしらむとならば、まづ漢意をきよくのぞきさるべし、から意の清くのぞこらぬほどは、いかに古書をよみても考へても、古の意はしりがたく、古のこころをしらでは、道はしりがたきわざになむ有ける〉とあります。中国的なものの考え方を取り除かなければ、学問をして日本の古書を読んで考えてみても、日本古来の心や道は知ることができないのだと語られています。
 続いて、〈そもそも道は、もと学問をして知ることにはあらず、生れながらの真心なるぞ、道には有ける、真心とは、よくもあしくも、うまれつきたるままの心をいふ〉とあり、道とはそもそも学問で知るものではなく、生まれたままの真心にこそ道が有ることが述べられています。ここでいう道とは、人智による浅知恵を行わずに、人々が素直に神々を信頼することで偽善的な教えがなくとも世の中が治まるという日本古来の考え方です。
 ですが、〈然るに後の世の人は、おしなべてかの漢意にのみうつりて、真心をばうしなひはてたらば、今は学問せざれば、道をえしらざるにこそあれ〉と述べられています。中国的なものの考え方が蔓延したために、日本古来の真心を失ってしまったため、学問により道を知るしかないのです。この状況は、西欧近代の考え方に毒された現代日本の現状に似た側面があります。
 この日本古来の道については、〈そもそも道は、君の行ひ給ひて、天の下にしきほどこらし給ふわざにこそあれ、今のおこなひ道にかなはあらむからに、下なる者の、改め行はむは、わたくし事にして、中々に道のこころにあらず〉とあります。道に対しては、下々の者が勝手に改革してはならないものなのです。そこで『直毘霊』でも言及されていたように、道の心は、下々の者が善悪に関わらず従うべきものとされているのです。〈下なる者はただ、よくもあれあしくもあれ、上の御おもむけにしたがひをる物にこそあれ〉と述べられ、〈古の道を考へ得たらんからに、私に定めて行ふべきものにはあらずなむ〉と、私心の否定が述べられています。
 宣長にとって〈道は天照大神の道〉なのです。遡ると〈道は、高御産巣日神産巣日御祖神の産霊によりて、伊邪那岐伊邪那美二柱の神のはじめ給ひ、天照大神の受行はせ給ふ道なれば、必万の国々、天地の間に、あまなくゆきたらふべき道也、ただ人の、おのがわたくしの家のものとすべき道にはあらず〉という系譜を辿ります。つまり、神々の道は、個人的なものでも、私的なものでもないのです。
 その道は、宣長の時代においても希薄なものとなってしまっています。〈神の道は、世にすぐれたるまことの道なり、みな人しらではかなはぬ皇国の道なるに、わづかに糸筋ばかり世にのこりて〉いると語られています。神の道は、優れたまことの道です。それは知らないではいられない日本の道ですが、僅かに糸のように細い一筋だけが世に残っているのだと語られています。

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西部邁

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