近代を超克する(15)対デモクラシー[8] バークとトクヴィル

トクヴィルの民衆観

 トクヴィルは、民衆の知識をある一定の水準以上に引き上げることは不可能だと考えています。さらに、あらゆる詐欺師は民衆の気に入る秘訣を心得ており、民衆の真の友はたいてい失敗すると述べています。そのため民主政治に欠けているのは、すぐれた人物を選ぶ能力だけではなく、その意志も好みもないというのです。
 ここには、民衆に対する警戒感が明確に示されています。民衆は卓越した人物を権力から排除するため、そのような優秀な人物は政治から離れていくことが示唆されています。そのため普通選挙ではなく、二段階選挙が唯一の手段として提案されているのです。

トクヴィルのデモクラシーにおける活力

 トクヴィルは、デモクラシーと活力の関係について論じています。ですが、『アメリカのデモクラシー』の第一巻と第二巻で、言っていることが真逆になっています。 第一巻では、民主政治は社会全体に活動力をもたらすと主張されています。その活力は民主政治なしには決して存在しないため、ここに民主主義の真の利点があるというのです。
 しかし、第二巻では、デモクラシーは人間の疑念を引き起こし、人間精神を落ち着かなくさせ、同じ場所で振り子運動をするだけで活力がないと語られています。 第一巻に比べて第二巻では、トクヴィルが民主政治についてより悲観的になっている印象を受けます。

トクヴィルによる平等原理の知性への適用

 トクヴィルは、多数の力が絶対的であるのは、民主政治の本質だと述べています。なぜなら、民主政体にあっては、多数者の外に抵抗するものは何もないからです。多数者の精神的権威は、一人の人間より多くの人間が集まった方が知識も知恵もあり、選択の結果より選択した議員の数が英知の証だという考え方なのです。これは、平等原理の知性への適用だとトクヴィルは述べています。
 多数派の大衆は違った考えをもつ人々を非難し、敵対者を孤立と無力に追い込み絶望させます。民主的国家での世論にとらえどころがありませんが、大衆が拒絶する信念を大衆に信じさせることは難しいのです。このことは、警戒すべきでしょう。

トクヴィルによるデモクラシーと出版

 定期刊行物や新聞などの出版は、人民に次ぐ諸権力の第一のものだとトクヴィルは述べています。それは、抑圧を受けた市民が身を守る手段だと考えられています。
 しかし、この見解には注意が必要です。なぜなら、多数派からの圧力があるからです。新聞などは、孤立したものが利用できる武器ではありません。かなりの頻度で、新聞は多数派について、少数派をなぶり殺しにすることがあるのです。
 出版が健全性を発揮するためには、民主的な要素だけでは不十分なのです。

トクヴィルによるデモクラシーと法律

 トクヴィルは、デモクラシーの危険性を抑えるために、法律に期待をよせています。法律家精神と民主的精神との混合がなければ、民主主義が社会を長く統治できないと考えられているのです。
 しかし、法律が多数派の手に、もしくは多数派の支持をうまく得られる者の手に落ちてしまう危険性もあるでしょう。例えば、現在のアメリカのように。
 法律が健全性を保つためには、民主的な要素だけでは不十分なのです。

トクヴィルの考察

 トクヴィルは、すべての人間の多数が定めた普遍の法・正義の法があり、それが個々の人民の権利に限界を付すと考えています。これは、間違っている上に、危険な考えです。普遍である正義の法など存在しないため、デモクラシーにおいて多数派でないということは、人を死よりも悲惨な境遇へ導くかもしれないのです。
 トクヴィルは、自由と平等が両立すると考えていますが、これも間違っています。そもそも、自由も平等も別個の概念であり、それぞれが問題だらけの概念です。境遇の平等によって、人は仲間のことを忘れます。平等が進めば、少しの不平等で我慢ができなくなり、不平不満はいつまでも続くのです。
 トクヴィルが平等に執着するのは、平等による政治的独立の観念に期待してのことです。しかし、政治的独立は平等によって失われる場合もあり、支持する理由としては不十分です。
 『アメリカのデモクラシー』は、やたら長い上に、丁寧に追っていくと記述が混乱している箇所もあり読むのが大変です。記述の混乱にもかかわらず、私がトクヴィルを嫌いきれないのは、その混乱がトクヴィルの誠実さに根ざしているからです。進歩的な理想を掲げながらも、それの現実への展開をきちんと見据え、いくつかの欠点についても誠実に論じているからです。
 例えば、普通選挙ではなく二段階選挙を提案していることは傾聴に値します。この見解を冷静に分析すれば、政治に反民主的な要素を持ち込むことによって、政治の安定化を意図していることが分かります。直接的な民意の暴走を抑制する効果が、段階的な選挙によって期待できるということです。


※第16回「近代を超克する(16)対デモクラシー[9] ミルとデューイ」はコチラ
※本連載の一覧はコチラをご覧ください。

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西部邁

木下元文

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投稿者プロフィール

1981年生。会社員。
立命館大学 情報システム学専攻(修士課程)卒業。
日本思想とか哲学とか好きです。ジャンルを問わず論じていきます。
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