思想遊戯(4)- 桜の章(Ⅳ) 桜の樹の下には
- 2016/4/22
- 小説, 思想
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智樹「なにか、受験勉強で聞いたことがあるような気がします。」
一葉「有名な箇所ですからね。桜の花は満開の様子を、月はかげりのない様子のみを鑑賞すべきだろうかという問いかけです。その上で、雨を見ながら見えない月を恋しく思い、部屋に閉じこもって春が暮れていくのを知らないでいるのも、いちだんと感銘があって趣深いと述べているのです。開花間もない梢や、しおれた花びらが散って敷き詰められた庭などにこそ見所があるとも語られています。」
智樹「すごい意見ですね。直接に桜や月を見るより、間接的に見たり、それどころか見なかったりする方が、より情緒があるという意見ですよね?」
一葉「はい。たしかに、すさまじい意見ですよね。」
そう言って、彼女は面白そうに微笑む。
智樹「でも、花びらが散って、庭一面が散った桜の花びらに覆われている光景というのは、たしかに素晴らしいでしょうね。この着眼点は、さすがだと思います。」
僕は、その光景を想像して高揚した。
一葉「確かに、趣のあるお寺などで、そのような光景を見ることは最高に贅沢なことだと思います。」
彼女が僕に微笑んでくれて、僕は嬉しくなる。僕は、彼女に素直な感想を告げる。
智樹「でも、日本人の感性って、昔からすごいですよね。たしか『古今和歌集』にも、散る間際の桜を称えた歌がありましたよね? 色々な角度というか、視点をかえて桜を見ることで、それぞれに風情を見つけることができるんですねぇ…。」
僕はしみじみと言った。彼女はうなずいてくれる。
一葉「兼好法師は、風流でない人に限って、この枝もあの枝も花が散って、見るべきところがなくなってしまったと言うのだと指摘しています。風流な人は、桜が散ったなら、散ったなりに風情を楽しむということですね。」
智樹「なるほど。」
彼女は、まじまじと僕を見て言った。
一葉「智樹くんは、感性が成熟しているように思えます。」
僕は、自分の顔が赤くなるのを感じた。
智樹「そうですか? 自分では、そんなことはないと思うんですが。」
彼女は、また手帳をパラパラとめくった。
一葉「谷崎潤一郎の『細雪』という小説の一説に、桜の歌を感じることについて書かれた箇所があります。」
僕はうなずいて、彼女が読む文章を静かに聞いた。
古今集の昔から、
何百首何千首となくある桜の花に関する歌、
―――個人の多くが花の開くのを待ちこがれ、
花の散るのを愛惜して、
繰り返し繰り返し一つことを詠んでいる数々の歌、
―――少女の時分にはそれらの歌を、
何と云う月並なと思いながら無感動に読み過して来た彼女であるが、
年を取るにつれて、
昔の人の花を待ち、
花を惜しむ心が、
決してただの言葉の上の「風流がり」ではないことが、
わが身に沁みて分るようになった。
僕は静かに彼女の声に耳を傾ける。
智樹「良い文章ですね。」
僕がそう言うと、彼女は静かにうなずいてくれた。
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