いつも、「フラッシュバック90s」をASREADにて担当しております、神田錦之介です。
今日は連載とは別で、単発のネタをお送りしようと思います。「放送法遵守を求める会」がTBSの安保法制に関する報道について意見書を出したそうで、それに対して、TBSからは以下のような回答が公開されています。
弊社は、少数派を含めた多様な意見を紹介し、権力に行き過ぎがないかをチェックするという報道機関の使命を認識し、自律的に公平・公正な番組作りを行っております。放送法に違反しているとはまったく考えておりません。
今般、「放送法遵守を求める視聴者の会」が見解の相違を理由に弊社番組のスポンサーに圧力をかけるなどと公言していることは、表現の自由、ひいては民主主義に対する重大な挑戦であり、看過できない行為であると言わざるを得ません。
弊社は、今後も放送法を尊重し、国民の知る権利に応えるとともに、愛される番組作りに、一層努力を傾けて参ります。
逐一、目くじらを立てて突っ込む気も失せるほどの内容、お見事としかいいようがありません。
今回のTBSの抗議声明分の要諦は「スポンサーへの圧力を公言していること」への抗議ということでしょう。電気放送事業をビジネスでやっている以上、広告料が減ってしまっては、TBSも立ち行かなくなりますから。逆に言うと、民法に対しては、それだけ、スポンサーに圧力をかける、あるいはスポンサーになるということは力を持つということでしょう。
このTBSよりももう少し「自由とか民主主義というものを守ろう」としているのはSEALDsだと思います。
しかし、私自身の、「民主主義というのはそこまで程度の良いものだったかなぁ」という疑問が日に日に強まり、今回のTBSの騒動でも、玉石のように「民主主義を守る!」といわれていますが、そもそも、「民主主義って守るものだっけ?」といった疑問を掘り下げて生きたいと思います。
いつから「自由民主主義は伝統」になったのか。
昨年は国会前でのデモが活発に行われ、その中心だったSEALDs(Students Emergency Action for Liberal Democracy – s)(自由と民主主義のための学生緊急行動)も、安倍政権の運営方法に疑問から始まりました。
彼らの公式ホームページには以下のように記載されています。
いまこそ、若い世代こそが政治の問題を真剣に考え、現実的なヴィジョンを打ち出さなければなりません。私たちは、日本の自由民主主義の伝統を守るために、従来の政治的枠組みを越えたリベラル勢力の結集を求めます。そして何より、この社会に生きるすべての人が、この問題提起を真剣に受け止め、思考し、行動することを願います。私たち一人ひとりの行動こそが、日本の自由と民主主義を守る盾となるはずです。
「日本の自由民主主義の伝統」という、よくわからない言葉が出てきています。リベラルデモクラシー(自由民主主義)というのは従来の価値観に縛られることなく、広く民衆の意見をもってモデレート(穏やか)な選択をしていく態度だと思っていたのですが、その態度がそもそもハンドダウン(継承)されていき、伝統となっていくというのは、非常に逆説的であります。
何がいいたいかというと、要は「伝統」という言葉を使っていますが、伝統の源泉はどこまでも、「戦後憲法は正しく、議論することも許さない」という価値観な訳です。
そもそも、民主主義は独裁制の一歩手前
大学時代に読書家だった方なら、一度は手に取ったことがあるでしょう、岩波文庫に入っているプラトンの『国家』。「西洋哲学は全てプラトンの注釈である」といわれるほどに偉大な哲学を残されました。
その中でソクラテスは、民主制を国家制度として、ブービー(下から2番目)として語り、その下に位置するのは僭主独裁制だとしています。
ASREADでもおなじみの木下元文さんが運営している日本式論が詳しいので、ご参照ください。
木下さんのブログでも取り上げられていますが、民主制で最高度の自由を味わった人民は最高度(最も野蛮な)隷属に進んで支配されるようになります。なるほど、その状態になれば、専制的な独裁者も台頭しやすくなる、というか大部分の人民に熱狂して誕生することになるでしょう。
そういう意味では、「民主主義を守る」というのは、「独裁体制に陥らないように民主主義を維持しなければいけない」以上でも以下でもないわけです。
リベラルといいながらも、何とも保守的な活動であり運動とでもいいましょうか。
「民主主義を守れ!」といって本音を隠すな!
自由民主主義というのは、どこまでも手段なのです。
政治制度はいくらでも変更できます。
ただただ、「自由民主主義を守ること」を目的化するのは、移動手段として、駅を作ったのにもかかわらず、駅周辺に人が住まなくなり、廃墟と化しているにもかかわらず、線路と駅があるから電車を走らせなければならないといっているようなものです。
その点で言えば、「民主主義を守れ!」といってますが、SEALDsは間違いなく、戦後憲法による体制保持と「野党である権利」の保持が目的でしょう。
TBSに関して言えば、「スポンサー離れを食い止める」ことが目的と言えます。
要は、本気で新しい政治体制を立ち上げるために、真剣な議論や活動をするという動きは皆無なわけで、方向性は間違っていますが、そういう具体的な活動という点では、おおさか維新の会の方が好感が持てます。
ASREADではあまりいい評価をされていない、おおさか維新の会ですが、野心があり、ある程度の志を持った、20代後半~40歳ぐらいまでの人々は軒並み、おおさか維新の会で活動しているなぁというのが、感触です。
ただ、ブラック企業化している点で、私自身はあまり、好きにはなれませんが。。。
いずれにしても、「民主主義を守れ!」と声高に叫んでいる人や団体がいる場合は、「で、何が狙いなの?」という一歩引いた目を忘れないようにしましょう。
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