思想遊戯(4)- 桜の章(Ⅳ) 桜の樹の下には
- 2016/4/22
- 小説, 思想
- feature5, 思想遊戯
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彼女は厳かに言葉を紡ぐ。僕は、黙ってその言葉を聞く。
一葉「これは、別に科学的根拠とか、そういう話ではありません。桜が美しい理由を、屍体が埋まっているからだという幻想に求めた一種の空想です。梶井は、次のような言葉も述べています。」
智樹「どんな・・・ですか?」
一葉「〈俺には惨劇が必要なんだ。その平衡があって、はじめて俺の心象は明確になって来る〉と。」
智樹「惨劇・・・。」
一葉「他にも、こういう言葉もあります。〈一体どこから浮んで来た空想かさっぱり見当のつかない屍体が、いまはまるで桜の樹と一つになって、どんなに頭を振っても離れてゆこうとはしない〉と。」
智樹「頭を離れない・・・。」
僕は、混乱しているのを自覚した。彼女は、何の話をしているのだろうか?
彼女は、とても素敵な笑顔で僕に尋ねる。
一葉「桜は何故うつくしいのでしょうか? その答えは、桜の樹の下には、屍体が埋まっているからだというのです。ねえ、佳山くん。素敵な話だと思いませんか?」
そのとき、僕の背筋に走ったものを、何と名付けたら良いのだろうか。
智樹「素敵な・・・話・・・ですか?」
一葉「おそらくこの話の桜は、ソメイヨシノのことだと思います。今、校内に咲いている桜も、ほとんどがソメイヨシノです。」
桜には、大きく分けて山桜とソメイヨシノがある。僕は、以前の上条さんとの会話を思い出していた。
智樹「確か、ソメイヨシノはクローンでしたっけ?」
一葉「そうです。接ぎ木ですね。ソメイヨシノは、山桜とは違う妖しさを備えていると思います。ソメイヨシノは、種子ではなく、接ぎ木で増えるため、その代償を必要とします。それは、人の屍体です。人の屍体を養分として、ソメイヨシノは美しい花を咲かせるのです。」
そう言って、彼女も静かに妖しく微笑むのだ。
ああ、その笑顔はやめてほしい。そんな笑顔を向けられたら、僕は気が狂ってしまう。彼女の言葉を真実と認識してしまう・・・。
智樹「うろ覚えですが、確か、桜の下で死にたいというような和歌があったような気がします。」
彼女は嬉しそうに静かに微笑む。
一葉「西行ですね。『新古今和歌集』に収められている歌です。」
智樹「『新古今和歌集』って、こないだの『古今和歌集』の次のやつですか?」
一葉「少し違います。『古今和歌集』の次ではなく、八代集の最後を飾る作品です。『古今和歌集』を範として、八代集の最後を飾るのが『新古今和歌集』です。」
智樹「八代集とは?」
一葉「古今・後撰・拾遺・後拾遺・金葉・詞花・千載・新古今の八つの和歌集のことです。日本人は、古来より歌を詠うのがたいへん好きだったことが分かります。」
智樹「和歌の歌集って、そんなにあるのですか?」
一葉「たくさんあります。『新古今和歌集』の後も続いて行き、勅撰和歌集は二十一になります。総称して二十一代集と言います。和歌は想いを詠います。それが日本人の心の歴史を紡いで来たのです。」
想いを詠うこと。彼女の言葉は僕の心に染み入る。他人の言葉に素直にうなずくことが苦手な僕が、彼女の言葉には不思議と引き込まれる。彼女が美人だからというのもあるとは思うけれど、やっぱり、彼女の考え方が深いからだと思う。彼女の言葉が深い意味を持っていること、それを僕は求めてしまう。
智樹「それで、ええと、桜の下で死にたいっていう歌は?」
一葉「西行という人の歌です。いいですか?」
僕はうなずいて、彼女の歌を聞く。
願はくは
花の下にて
春死なむ
そのきさらぎの
望月の頃
(巻第十八 雑歌下 一九九三)
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