バランスシート不況説の問題点 ー 失われた20年の正体(その6)
- 2013/12/26
- 経済
- リチャード・クー
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バランスシート不況説や金融不安定性仮説では失われた20年は説明できない
バランスシート不況説・金融不安定性仮説に共通するのは「経済システム自体に、景気の上昇や下降を増幅するメカニズムが組み込まれている」という認識の下、増幅をもたらす要因として「負債」の役割に着目した点です。これは、「経済に短期的な不均衡が生じたとしても市場メカニズムによっていずれ均衡点に落ち着く(従って突き詰めると、景気変動とはその場その場の外生的なショックで引き起こされるものに過ぎない)」とう経済観を持つ主流派経済学とは対極に立つものです。
恐らくは「憧れているものや上手く行っていているものに追随しようとする人間の性」に起因するであろう、「ブームがブームを呼ぶ」という一歩距離を置けば不合理にさえ映る現象が、いわゆるバブルやその崩壊といった金融的な領域にとどまらず、より日常的な経済活動においても観察されることからすれば、主流派経済学の経済観には根本的な問題があると言わざるを得ないでしょう。
その意味では両説が有する問題意識、及びそこから導き出される財政政策に対するポジティブな評価、という点において、積極財政論者の私としても共感するところが少なくないのは事実です(実際ある時期まで、リチャード・クー氏は私にとって最もお気に入りのエコノミストの1人でした)。
しかし残念ながら、両説(特に、バランスシート不況説は日本発であるにもかかわらず)に基づいて日本の失われた20年を説明することは実証的に困難です。
【図2:日本の法人企業統計(金融・保険業除く)の推移(1955年第1四半期~2013年第2四半期】
「長期デフレを伴う企業の設備投資意欲の大幅な低下」が日本の長期停滞の顕著な特徴であることは、以前(その2:失われた20年のもたらしたもの)お示しした通りです。またバブル崩壊後以降に限らず、日本の景気変動においては企業の設備投資水準の変動によるインパクトが(アメリカ等諸外国と比べても)極めて大きいことが知られています。
したがって両説で失われた20年を説明するのであれば、こうした企業行動や企業の財務諸表の実際の動きと整合性が取れているかどうかを確認する必要があります。
しかし図2でわかるとおり、企業の営業利益に対する負債の比率(前述した「家計における、個人可処分所得に対する負債の比率」に対応するもの)はバブルのピークに向かってむしろ低下しています。つまり、金融不安定仮説の前提はそもそも成り立っていないのです。
また、企業の自己資本比率(=自己資本÷総資産=(総資産-負債)÷総資産))はバブルが崩壊した1990年以降(というより1970年代後半以降)上昇を続け、今や高度成長期すら上回る、統計期間中過去最高水準の「健全なバランスシート」を誇っています。「経済構造の変化等を加味すれば、高度成長期と単純比較はできない」という議論もあり得るかもしれませんが、長期的なトレンドとの整合性も含め、ここ20年の企業行動のメカニズムをバランスシート不況説で説明しようとすることには、やはり無理があると言わざるを得ません。
両説には理論的に克服すべき問題点も
先に、「経済は放っておけば(外的ショックが無い限り)いずれ均衡点に落ち着く」という主流派経済学の経済観の問題点を指摘する一方で、バランスシート不況説や金融不安定仮説が「経済システムの中に、不均衡が拡大するメカニズムを内在している」という認識に立つ点をポジティブに評価しました。実際、ブームやその崩壊が増幅されるメカニズムに一定の説明を与える有力な理論として、両説の存在意義は失われていないと思います。
他方でバブルにせよその崩壊にせよ、「一歩距離を置けば不合理にさえ映る」状態まで行き着くことからすると、「バブルが破裂するのは何らかの外的要因である」と考えるよりも「経済システム自身が、バブルが行き着いた先の『トレンドの反転』をもたらす内部要因を孕んでいる(つまり外的要因が無くても、いずれ破裂する)」と考えた方が、実感として自然ですし、筋も通っています。
しかしながら、金融不安定仮説にせよバランスシート不況説にせよ、こうした「トレンドの反転をもたらすメカニズム」は内包されていません。ここに、両説の理論的な問題点があると言えるでしょう。
BIS(国際決済銀行)のエコノミストで、「金融サイクル」と呼ばれる不動産バブルとその崩壊に伴う金融危機の周期的な発生現象を分析したクラウディオ・ボリオはその論文の中で、
「主流派経済学を前提としたマクロ経済政策の枠組みを大幅に修正し、むしろ戦前支配的だった内生的景気変動論(景気トレンドの反転をもたらすメカニズムが経済システムに内包されていることを前提とした理論)に近い枠組みを導入すべきである」
と述べていますが、これは妥当な指摘と言えるでしょう(ボリオは同じ論文の中で、「主流派的な理論モデルの一例」すなわち批判の対象として、前述したクルーグマンの共著論文を挙げています)。
こうした問題点も克服しつつ、現実とも整合性のとれた理論こそ、失われた20年の説明として求められるべきものなのです。
(参考文献)
リチャード・クー「デフレとバランスシート不況の経済学」(徳間書店、2003年)
ハイマン・ミンスキー「投資と金融」(日本経済評論社、1988年)「金融不安定性の経済学」(多賀出版、1989年)
服部茂幸「危機・不安定性・資本主義 ハイマン・ミンスキーの経済学」(ミネルヴァ書房、2012年)
Claudio Borio: “The financial cycle and macroeconomics: What have we learnt?” BIS Working Papers No 395 (2012).
Gauti B. Eggertsson and Paul Krugman: “Debt, Deleveraging, and the Liquidity Trap: A Fisher-Minsky-Koo Approach,” The Quarterly Journal of Economics (2012)
コメント
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私にとっては衝撃的な分析です。バランスシート不況論については、主流派経済学への疑問もあり、また、リチャードクー氏等の著作等により支持していたので、いつも以上に興味深く読ませていただきました。
もっと注目されて良い論考だと思いますので、FBノート等で紹介させてください。(私なりの解釈にはなりますが)
コメント有難うございます。
最近改めて思ったのですが、バランスシート不況論その他の「負債デフレ」論的な枠組みは、「金融機関(場合によっては、ノンバンク、商社、不動産会社も含む)」という特殊なプレイヤーの行動理論として読み替える(したがって、実体経済の需要減少とは一旦切り離して考えるべき)のが良いような気がします。
そうすれば、バブル崩壊直後の金融機関の貸し出し態度との整合性が付くのではないかと…あくまで漠然としたアイディアですが。
いつも参考にさせてもらっております。勉強になります。
図2について、バブル以前は景気が良いのでバランスシートが健全で、かつ、バブル後はさらに健全化の圧力がかかるとともに資産価値の低下や業績悪化により対応できなくなった企業や事業部門は倒産・廃業・吸収合併・事業切り離しなどにより調査対象から外れたという解釈はできないでしょうか。だとすると、バランスシート不況説とは矛盾しないような。
コメント有難うございます。
ご指摘のような解釈だと、残った健全な企業はより一層設備投資を活発化させているはずであり、現実と矛盾すると思われます。
恐らく(私自身も持ち合わせている)バランスシート不況論に対する一定の納得感から出ているご指摘ではないか、と勝手に想像している次第ですが、鳥見さんへの返信コメントでも述べている通り、バランスシート不況論の考え方は「金融機関の行動理論」に形を変えて活かされるべきあり、そうすれば自分自身の納得感とも整合性が取れるような気がしております。