こんにちは、島倉原です。
過去3回は、1930年代の米国大恐慌及びそこからの回復原因を巡る主流派経済学系列の学説(マネタリズムやニュー・ケインジアン)を検証し、金融緩和に偏重したその論理や結論に批判を加えてきました。
オリジナルのケインズ理論に近い「オールド・ケインジアン」が盛んだった頃は、財政政策の方がむしろ重要視され、大恐慌についてもそうした文脈でシンプルに理解されていたはずなのですが、リーマンショック以降一部見直しの動きがあるとはいえ、そうした考え方は近年非主流派に追いやられています。
しかしながら、「主流派の言っていることだから」と鵜呑みにする(リフレ派のような)スタンスでは信ずるに足る結論は導き出せず、およそ問題解決にはつながらない、ということは、これまでの検証プロセスでご理解いただけると思います。
今回は学説の議論は横に置き、「当時の米国の経済指標を失われた20年における日本のそれと比較する」というアプローチの下で、金融政策と財政政策のどちらが重要かを検証してみたいと思います。
60年前と現代を比較する?
図1は、失われた20年、大恐慌それぞれの直前のピークを起点(100)として、その後の日米株価の推移を示したものです(時間軸は日本のものであり、米国については表示された年月を60年4ヶ月さかのぼると実際の年月となります)。
価格水準で見ると両者の動きはバラバラなようですが、株価の波動、すなわち上下動の仕方を比べると、両者の動きは驚くほど似ています。
【図1:巨大バブル崩壊後の日米株価の推移】
もちろん、当時の米国と現代の日本とでは、各国の産業構造、それぞれが置かれた国際環境等が異なるため、何でもかんでも同一尺度で比較できる訳ではないでしょう。
他方で、「歴史的な巨大バブル崩壊後の長期低迷」という点において共通し、なおかつ「(名目マクロ)経済の鏡」と言われる株価の波動がこのように似通っていることを踏まえると、少なくとも名目ベースの比較をすることについては、それなりに意味があると考えても良さそうです。
実際、図2は同時期の両国名目GDPの推移を示したものですが(米国は60年前のもの。以下の図も同じ)、「バブル崩壊後4年ほどは日本の方がパフォーマンスが良かったが、それ以後は米国の方が良い」という点において、株価の推移と共通しています。
【図2:巨大バブル崩壊後の日米名目GDPの推移(株価ピーク年=100)】
「バブル崩壊後の4年間」と言えば、米国ではちょうど、バブル崩壊後ルーズベルト政権のニューディール政策が始まるまでの時期にあたります。
その間米国の名目GDPはほぼ半減し、その後経済が回復に向かったことは、「マネタリズムを検証する」や「ケインジアンによる財政政策無効論?」で述べたとおりです。
これに対して同時期の日本では、同じような歴史的バブル崩壊が起きたにもかかわらず、むしろ今よりも成長率が高かったくらいです(当時の名目成長率は年平均4.2%)。
この差は一体、どこから生じたのでしょうか。
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青木泰樹帝京短期大学教授の説によれば、マネタリーベースを増やしても、そのマネーは金融機関にわたり、そこから実体経済部門に流れるか、金融経済部門に流れるかのどちらかである。デフレ下においては実体経済部門は投資をしないのでマネーは金融経済部門だけに行く。金融経済部門から実体経済部門へ細いパイプは存在するが(株で儲けた人が消費活動を活発にするなど)ほとんどのマネーは株や土地などのストックへの投機に流し込まれる。結果として株価の上昇や商品先物あるいは土地などの価格が上昇するが、GDPの成長率にはつながらない。
国が国債を発行して金融経済部門からマネーを借りて財政出動することによって初めてGDPは成長する。長期金利が上がれば日銀が買いオペで買い込んでしまえば全く問題は起こらない。
「経済学とは何だろうか」八千代出版より