モンテスキューの三権分立論
ロックのところでも述べましたが、現代の三権分立は、立法権と行政権と司法権から成り立っています。一方、モンテスキューの三権分立は、次の三つから成り立っています。
●立法権
→ 一時的または恒久的に法律を定める。
→ すでに定められた法律を修正または廃止する。
●(国家の)執行権 [万民法に属することがらの執行権]
→ 講和や宣戦を行う。
→ 大使を交換し、安全を保証し、侵略を予防する。
●裁判権 [市民法に属することがらの執行権]
→ 罪を罰する。
→ 私人間の係争を裁く。
モンテスキューの三権は、内政と外政と立法に分けられています。彼は、三つの権力によって停滞が生じても、事物による強制力が働くため、協調して進まざるをえなくなると考えています。国家の権力機構を分散させ、権力相互間の抑制によって均衡を保つことは重要であり参考に値します。
バジェットによる威厳と機能
モンテスキューなどの影響で、イギリス憲政の特色として三権の分立が挙げられるようになりました。そのような状況下において、バジェットは異なる見解を示します。
著書の『イギリス憲政論』では、イギリスの二本立ての制度として、威厳をもった部分と機能する部分が挙げられています。前者は演劇的要素であり、君主(と上院)がその地位の大半を占めます。後者は有用的要因であり、内閣(と下院)がその地位の大半を占めます。
特に注目すべきは、機能する部分の秘密は、行政権と立法権との密接な結合にあるという見解です。イギリス憲法の長所は、立法権と行政権との分離ではなく、両者の不思議な結合にあるというのです。両者を結ぶきずなが内閣であり、それは行政権を担当するため、立法機関によって選出された委員会を意味しています。
諸権力の分離と結合について
以上の見解から学ぶべきことは、権力は単純に分離していれば良いとか、結合していれば良いとかいうわけではないということです。諸権力がうまく働くには、分離と結合のバランスが重要だということです。
日本における司法の分離
日本における権力の分離についても、少しだけ紹介しておきます。江戸中期に、熊本藩宝暦改革を主導した堀勝名(1717~1793)という人物がいました。
行政官である奉行が司法官を兼ねることには問題があるため、堀は「刑法局」という司法の役所をつくり、裁判を専管させました。そのため熊本藩では、行政と司法の分離が実現していたのです。
※第15回「近代を超克する(15)対デモクラシー[8] バークとトクヴィル」はコチラ
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