〔10〕理念なき教育改革
教育政策について考えるには、個人的視座と社会的視座の2つのアプローチがある。個人的視座とは、個人が学力を修得し、自立の能力を培い、幸福な人生を歩めるようにするための教育という観点である。社会的視座とは、有為な人材を育てようという社会の要請から教育を考える立場である。
もちろんこの二つは一体のものであり、個人はその能力を開花させて社会から有為な人材として受け入れられ、個人も社会も利益を得られるということになる。
どちらの視座から教育を考えるかというアプローチの違いである。個人の尊厳を高らかに謳っていた旧教育基本法は主に個人的視座で教育を捉えていた例である。グローバル化の時代に向けて英語教育に力を注ごう、という昨今の政策は主に社会的視座からの教育へのアプローチである。
どちらも必要な視座である。だが個人的視座に大きく傾いている人はしばしば社会的視座からのアプローチに反発するものだ。
臨教審は中曽根首相の戦後政治の総決算という理念から始まったにもかかわらず、教育理念を謳う教育基本法についての議論をタブーとした。
中曽根元総理は語っている。
臨教審の現場対応策そのものは、かなりいいものがある。順次実行され、展開されている。功績は認めてもいいと思う。
しかし、一番大事な、基本的な問題が欠落していた。精神的なバックボーンがない。教育基本法に、ただ従っているだけだ。教育基本法は個人や自由が強調され、国家や公に対する観念や、日本固有の文化や伝統を尊重しようという大切なものが入っていない。
何もナショナリズムで言うのではない。人間として生きるには、精神的な支柱がいる。今の教育体系を見ると、思想とか、哲学をまじめに自分で考える時間がない。(平成14年7月28日朝日新聞のインタビューより)(臨教審では)国会の承認を取るために一応、教育基本法には手をつけないことを約束しましたが、いざとなったら枠を越えてしまえと私は腹を括っていました。(中曽根康弘『自省録―歴史法廷の被告として』平成16年)
「いざとなったら云々」は、後になったら何とでも言える、中曽根氏特有の“ええかっこしい”発言のように思える。
中曽根内閣は、臨教審設置について国会の承認を取るまでは、教育基本法が話題になることすら必死に抑えていた。例えば首相の私的諮問機関「文化と教育に関する懇談会」の一委員(田中美知太郎・哲学者)が個人的意見として教育基本法の廃止または改正を主張すると、首相周辺の働きかけで田中美知太郎の意見だけが公表されなかった。国会では森喜朗文部大臣が「教育基本法には一言一句手をつけない」と言明した。
そして成立した臨教審設置法第1条には「教育基本法の精神にのっとり」との文言が明記された。「いざとなったら云々」は法律上不可能となったのである。
設置後に教育基本法を話題にする委員はいたが、早速朝日新聞に叩かれた。
教育基本法は準憲法的性格を持つ。ために、その見直し論は、護憲か改憲かという鋭い対立をはらむ政治的主張に直結している。これを臨教審で論議するということは、憲法をめぐる争いを、ここでもまた始めようというに等しい。
戦後の日本の教育の不幸は、つねに政治的対立の中でのみ論じられ、純粋に教育の立場からする施策や改革が、なされにくかったことに大きな原因がある。だが現状は、これ以上それを許しておけない段階にきた。
(中略)
「教育基本法の議論をタブー視するな」という声が、他の委員の間にもあるという。そうではなくて、臨教審でとりあげるのに、ふさわしいかどうか、みずからの役割に照らして考えてもらいたいと思う。(昭和59年10月14日朝日新聞社説より)
教育政策についての議論は、国家のあり方についての考察と切っても切れない関係にあるはずだ。どこの国でもそうだろう。それを、切り離せと言う。議論するなと言う。
良し悪しは別として、アメリカの数学教育の現代化(本稿〔3〕参照)も国家の進路を考えたうえでのことだった(日本は追随しただけだったが)。次世代をどのように育てるかという問題は、家庭の問題であり、地域の問題であり、国家の問題であるのだ。なぜ最後の問題だけを切り離すのか。軍靴の音が聞こえるのか。それは幻聴だ。
この妙な風潮は、教育基本法の改正を経た、30年後の今も変わらない。
保守派からは異論があろうが、私は、教育政策は基本的にはリージョナル(地域的)な次元で取り組むべき問題であると考える。学習指導要領なども、文科省への中央集権を廃し、地域ごとに多様に作成すればよいのだ。
ただしそれは、国家のあり方について国民が基本的にコモンセンスを備えていることを前提としなければならない。
平成18年に改正された現行教育基本法は、そのような国民のコモンセンスによって支えられているだろうか。
新基本法に「公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと」(第2条3項)と明記されたのは当然のことで、遅きに失したというしかない。昭和22年制定の旧基本法はGHQによって与えられた民主主義観で染められ、「個人の尊厳」や「個人の価値」が謳いあげられているだけだった。憲法と同じく、日本の歴史の裏付けが皆無であった。そこで新基本法では「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに・・・」(第2条5項)との文言が入ってきたのだが、さて・・・
この基本法を作成した大人たちは、愛せよと言っている「国」をどのようにいだいてきたのか。講和条約発効後もひたすらアメリカに従属する道を選んできたのではなかったか。冷戦終結後も、冷ややかなアメリカにひたすらしがみつこうとしているだけではないのか。愛せよと言っている「郷土」をアメリカ発新自由主義の荒波で空洞化してきたのは誰だったのか。
そんな大人たちが「愛国」や「愛郷」の文言を連ねても無意味だ。文科省がその「学力観」で美辞麗句を連ねるのと五十歩百歩ではないか。
憲法や教育基本法のような基本法は、そこで謳われている理念に、国民が実体としての意思を注ぎ込んではじめて実効性を持つのだ。国民にそのような意思があるのかないのかが問われることになるだろう。
例えば憲法9条2項と日米安保条約がひとつのメダルの裏表であることぐらい、誰でもほんの1センチ考えを進めれば解ることだ。しかしその1センチすら考えないで、「平和憲法を守れ」と「米軍基地反対」を一人の人が一つの口で叫んだりする。叫ばなくても、心の中で「平和憲法護持」と「対米自立」を同時に主張している人がたくさんいる。たぶん国民の過半数だろう。たった1センチすら考えないで、どうして子供たちに「自分で考える大切さ」を教えられるのか。国亡ぼして、何が「生きる力」か。
昭和20年の敗戦直後、GHQは漢字を使用する国語に日本人の劣悪さの原因を見出し、漢字が日本に民主主義を普及する妨げになると断じた。漢字を廃止し日本語をローマ字化することが当初のGHQの思いつきだった。その後日本人の識字率の調査等を通じて、この思いつきの不適切さに気づいたGHQはローマ字化の方針を撤回するのだが、忘れてならないのはこのときの日本の言論界の阿諛追従ぶりだ。
漢字廃止、ローマ字化に賛同する意見が相次ぎ、日本語を廃止してフランス語を国語にせよと主張する高名な作家まで現れた。讀賣報知(後の読売新聞)の社説は「・・・漢字がいかにわが国民の知能発達を阻害しているかには無数の例証がある。特に日本の軍国主義と反動主義とはこの知能阻害作用を巧みに利用した」と書き、「文化国家の建設も民主政治の確立も漢字の廃止と簡単な音標文字(ローマ字)の採用に基く国民的知的水準の昂揚によって促進されねばならぬ」と主張した(昭和20年11月12日。旧漢字と旧仮名遣いは今の文字に改めた)。
今は笑える。愚かさを嗤えばいい。しかし、祖先が培ってきた日本の文化遺産を貶め、その利点や長所を自ら進んで殺そうとする心理構造は敗戦国民日本人の宿痾になってきたのではないか。諸外国が羨んだような日本の学校教育の利点を、「ゆとり」の美名で次々に壊してきたのは、誰に強制されたわけでもなく、日本人自身だったのだ。
自然科学の分野では世界的に大きな業績を残す研究者の活躍が相次ぎ、このような人たちを続々と生み出す日本の科学教育の素晴らしさが注目を浴びている。突出した人たちだけではない。裾野の広がりも高いレベルで大きい。日本の教育の優秀さの証しだ。
しかしその世代の成功を生んだ教育内容はもはや大きく損なわれているのではないか。誰に強制されたわけでもないのに。
教育政策への個人的視座と社会的視座の話に戻すと、画一主義の克服と多様な路線を必要とするのは、個人の適性を活かすためであると同時に人材選別のためでもある。「人材選別」という言葉を聞いただけで目を三角につり上げる人もいるが、放っておこう。
どの分野でもエリートは必要である。先端的な技術の開発に必要な専門知識と創造性、政治や経済の指導者に要求される深い教養と高い見識そしてノブレスオブリージュ。義務教育修了後の多様な教育路線のなかで、選別された人材への教育を始めればよいのである。世論の反発で容易に実現しそうにもないが。
他方大多数の中間層を構成する人たちには、社会の良民であるべく、自分で考える能力を養成することが肝要である。マスコミに誘導される世論などに左右されない思考力を備えているのが良民である。思考力を養う土壌は言語能力であり、読み書き能力である。
リテラシーを持たない人間が、TVのキャスターやコメンテイターの言葉を自分の言葉だと思い違いをしてしまう。キャスターが溜め息をついてみせると、自分もいっしょに溜め息をついている。こういう人たちが大量に日々暮らしている社会は不気味である。
リテラシーを持たない人々がある程度の割合で社会に存在し続けるのは不可避であるが、それが増えすぎると民主主義は内から腐敗し、全体主義を招来することになる。今の教育は、このようなリテラシーを持たない若者を続々と生み出しているのではないか。
良民の思考力を育てる土壌は言語能力であり、読み書き能力である。初等教育の段階から中等教育にかけて国語教育の重要性はもっともっと強調されなければならない。
エリート教育と良民教育、こういうことに考えをめぐらすと、国のあり方に絡めて教育を考えることになるのである。
激動の時代になるであろう21世紀、日本は国としてどう生き抜いていくのか、それを考えない大人に次世代を教育することなどできない。美辞麗句が空転するだけだろう。
教育とは、ひとり教育の問題ではないからだ。
(了)
【参考文献】
★〔2〕で、永井文部大臣と槇枝日教組委員長との会談については、櫻井よしこ『迷走日本の原点』(新潮文庫・平成15年)を参照した。
★〔10〕で、臨教審設置前中曽根内閣が教育基本法に対してとったスタンスについては、高橋史朗『「総点検」戦後教育の実像』(PHP研究所・昭和61年)を参照した。
★ 臨教審の審議内容と平成期の教育政策の推移については、渡部蓊『臨時教育審議会―その提言と教育改革の展開―』(学術出版会・平成18年)を参照した。
★ 臨教審初期の審議内容等については、私が経営していた塾で保護者向けに発行していた機関誌から抜粋して本稿に取り入れた部分が何カ所かある。その機関誌で昭和60年前後に連載した私自身の文章である。それは当時の新聞、雑誌等の記事を参考資料としているが、例えば本稿〔5〕のS次官とM元次官とのエピソードなどについては、原資料が何であったか、今となっては記憶がない。
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