理念なき国家の教育改革

〔2〕「ゆとり教育」はいつ始まったのか

 「ゆとり教育」はいつ始まったのか? 答えは簡単である。昭和52、53年に学習指導要領が改訂され、小学校は昭和55年度から、中学校は昭和56年度から、高校は昭和57年度から「ゆとり教育」が実施されたのである。

 「ゆとり教育」は平成14年度に始まったと誤解している人が多い。昭和50年代にスタートした「ゆとり教育」が段階を踏んで平成14年度に一応の完成をみたのであって、この年に突然始まったわけではない。

 臨教審が「ゆとり教育」を創設したという都市伝説もあとを絶たない。新聞は嘘を書く。例えば朝日新聞(平成14年7月28日)は「ゆとり教育に代表される今の教育政策・改革の源流をたどると必ず臨教審に行き着く」などと書いている。「ゆとり教育は臨教審に始まった」とか「ゆとり教育の源流は臨教審」とか「臨教審が目指したゆとり教育」とか発言する論客を何度見聞きしたことか。論壇誌の座談会で、評論家氏がこういう無邪気な発言をするのを受けて、同席している元文部官僚氏が、当然それが誤解であることを百も承知しているはずなのに、あえてその誤解に暗黙の肯定を与えながら応答している姿は何を意味するのか。

 昭和52、53年告示の学習指導要領から始まる「ゆとり教育」が、どうして昭和59年に設置され62年に終了した臨教審を源流とすることになるのか。時系列が無茶苦茶である。歴史は捏造される。

 「ゆとり教育」の始源を辿ると、昭和40年代後半の日教組のスローガンに行き当たる。教職員の週休2日制の実現を目指す日教組が、それに関連して「ゆとりのある学校」を主張したのが始まりだ。

 これが政治日程に上がってくるのは、民間出身大臣として三木内閣に鳴り物入りで迎えられた永井道雄文部大臣が、槇枝元文日教組委員長と会合を重ねて肝胆相照らしてからである。最初の公式会談は昭和49年12月である。

 大臣就任前の永井道雄は学者でありつつ朝日新聞の論説委員も務め、日教組の教研活動で講師をも務めていた。二人は公式会談以外にも毎週のように私的に朝食を共にし(槇枝元文談)、「学習内容を減らし、ゆとりをもって、偏差値教育を廃止していこう」と意気投合したのである。

 その結果、文部省の教育課程審議会が昭和51年の答申で「学校生活を全体としてゆとりのあるものにする必要がある」と提唱し、上記の昭和52、53年告示の学習指導要領改訂に至るのである。学習内容が削減され、授業時間数は約1割減少し、「ゆとりの時間」が新たに創設された。その後学習内容と授業時数の削減がさらに進んだのが平成10、11年の学習指導要領の改訂(小中学校は平成14年度、高校は15年度実施)である。

 後に「ゆとり教育」は世論のバッシングを受けることになるが、昭和50年代の世論は概ねこれを歓迎していた。なぜか。この頃学習内容についていけない生徒が増えてきて、詰め込み教育批判の世論がマスコミ主導のもと花咲いていたからである。

 ちなみに「落ちこぼれ」という言葉はこの頃に生まれ、急速に普及した新語だった。一昨年だったか、NHKの大河ドラマをチラ見したとき、同志社英学校(同志社大学の前身)の学生が「落ちこぼれは去って当然たい」と叫んでいるのを聞いて驚いた。明治初期の学生が「落ちこぼれ」なんて言うか。時代考証が無茶苦茶である。

 閑話休題。「わんぱくでもいい、たくましく育ってほしい」という丸大ハムのCMがヒットしていたその頃、マスコミは一斉に反塾キャンペーンを張った。塾は、受験戦争に便乗し、受験テクニックを闇雲に詰め込むだけの悪の巣窟であるかのような扱いだった。塾講師の犯罪はことさらに大きく報道された。塾帰りの子供が交通事故にあうと、「塾帰り」と見出しがついた。おつかいの帰りに事故にあっても「おつかいの帰りだあ!」なんて見出しはつけないのに。

 大人たちは建前のうえではマスコミの誘導に乗り、「今の子供は勉強、勉強で可哀そうだ」と言いながら、本音の部分ではより良い塾を探し、学習塾は世間から冷ややかな眼差しに晒されながらも繁盛していたのである。

 このような風潮のもとで、「ゆとり教育」は一応世論の支持を受けて始まったのだ。どうして後になって、特定の文部官僚氏を名指しで悪の権化のごとくに罵倒するのか。あなたが「ゆとり教育」を支持していたのではなかったのか。

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西部邁

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