** 目次 **
〔1〕大学入試改革案と「確かな学力」
〔2〕「ゆとり教育」はいつ始まったのか
〔3〕「ゆとり教育」の前史 ― 数学教育の現代化
〔4〕学習の貧弱化
〔5〕臨教審の顛末
〔6〕「新しい学力観」・「生きる力」・「確かな学力」
〔7〕学習指導の質
〔8〕偽善的な学力観
〔9〕画一教育の克服へ
〔10〕理念なき教育改革
※ 記述にあたって、故人の名には「氏」の敬称を添えない。
〔1〕大学入試改革案と「確かな学力」
平成26年12月22日、中央教育審議会(以下「中教審」と略記)は大学入試改革についての答申を文部科学大臣に提出した。細かな提唱は色々あるが、ポイントは二つである。
一つは国が導入するテストを二段階に分けたことだ。まず高校2、3年の在学中に学習到達度を測る「高等学校基礎学力テスト(仮称)」を数回実施する。次に現在のセンター試験に代わる「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」を実施し、将来的には教科別の出題を廃し「総合型」の設問に移行する。テストの成績は「1点刻み」の評価を廃し、「段階別表示」とする。
二つめのポイントは、各大学でのアドミッション・ポリシー(入学者の受け入れ方針)についての提言だ。上記の「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」の成績に加え、「小論文、面接、集団討論、プレゼンテーション、調査書、活動報告書、大学入学希望理由書や学修計画書、資格検定試験などの成績、各種大会等での活動や顕彰の記録、その他受検者のこれまでの努力を証明する資料など」(答申書p.12)を活用することになるが、どのような評価方法を組み合わせるかは各大学の裁量である。上記の「高等学校基礎学力テスト(仮称)」の成績は調査書の中に含まれる。
これらの大学入試方法の個々の事項について検討することは本稿の目的ではない。この方法の実施にあたっては技術的な困難も色々あるだろうと思うが、それについては今は措く。
すべての高校生が大学進学を目指しているわけではない。近年大学が大衆化されたといっても、進学率は50%程度である(平成22年が過去最高で52.2%、以降微減)。今回の中教審の答申も大学入試にだけ焦点を絞っているわけではなく、高校卒業後に就職する生徒たちや専門学校に進む生徒たちを含む高校教育のあり方にも広く目を配っている。
また大学とひと口にいっても、高度な学問の修得を目指す学生たちが集う大学がある一方には、小学校高学年~中学校の学習事項が大きく欠落したまま進学してきた学生が少なくなく、そのため補習を行なっている大学もある。大多数の大学はこの両極端の中間に位置し、その中でも学力水準は色々である。答申ではこの水準の差をおおまかに二つに分け、それぞれ「選抜性の高い大学」「選抜性が中程度の大学」と表現している。
答申は「選抜性の高い大学」の個別選抜については、従来のように知識・技能・及びそれらを活用する力を判定する必要を認めつつ、加えて「主体性・多様性・協働性」や「思考力・判断力・表現力」を含む「確かな学力」を高い水準で評価することを求めている。
「選抜性が中程度の大学」については、個別選抜で二科目前後の筆記試験で知識量のみを問う出題になりがちな現状を批判し、前記の「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」を積極的に活用しつつ、加えて「思考力・判断力・表現力」を含む「確かな学力」を評価することを求めている。
平たくいえば、どちらの大学についても、小論文や面接、ディスカッション等を重視して合否を判定しろということであろう。
繰り返し述べるが、その技術的困難性については本稿では言及しない。
今回の中教審の答申は、教育再生実行会議(以下「実行会議」と略記)が大学入試のあり方について平成25年10月31日に提言した内容を踏まえたものと思われる。中教審は文部科学省に属するが、実行会議は内閣総理大臣の諮問機関である。両者の関係はあいまいなところがあるが、実行会議が大枠を示し、それを受けて中教審がより具体的に審議するという形で運用されているようである。どちらにも文科官僚の一貫した政策が貫徹していると見て間違いがないだろう。かつて中曽根首相が目論んだように、臨時教育審議会(以下「臨教審」と略記)を設置して、(失敗に終わったが)文部省を抑えて政治主導を図ろうとしたのとはわけがちがう。
実行会議の提言の趣旨はほぼそのまま中教審の入試改革案に生かされている。「1点刻み」の合否判定を批判し、面接や集団討論を重視する点も同じである。
答申で書かれている「確かな学力」とは何だろうか。それは昭和50年代に始まる「ゆとり教育」の中で展望された学力観とどのような繋がりを持つのだろうか。
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