理念なき国家の教育改革

〔4〕学習の貧弱化

p9
(注)中学校で「ゆとり教育」が始まったのは昭和56年度である。

 これは単元のまとめのページにある応用問題である。まず①で、「このことを・・・」以下のヒントはいったいどのような意図で添えられたのだろうか。これでは生徒の考える機会を最初から奪っているようなものだ。生徒は与えられた式を単にn(n+1)と変形すれば一件落着だ。生徒が問題に取り組むときに「ああでもない、こうでもない」と考える機会をもたせることは、何か子供に対する罪になるのだろうか。

 私なら「連続する2つの偶数の積は8の倍数であることを証明せよ」と出題する。ヒントは添えない。2n(2n+2) を 4n(n+1) と変形した後で、上の①と同じ問題になる。ここまで「・・・は6の倍数であることを証明せよ」等々の類似の問題をすいすいとこなしてきた生徒たちは、8という数が目に見える形で出てこないので「ん?」と戸惑う。私の手書き謄写版刷りのテキスト(当時)を前にして、「先生この問題間違っているよ」と言う生徒が出てくる。「先生最近疲れてるんじゃない?」と言ったりする生徒もいる。私は、連続2偶数の例を生徒たちにあげさせ、その積がたしかに8の倍数になっていることに注目させる。生徒たちは口々に色んな意見を言う。昨今文科省界隈で流行っている言葉を借りると、アクティヴラーニングである。

 上記②は惨状というしかない。これでは宿題をお母さんが代わりにやってあげているみたいだ。

 知識の詰め込みはいけない、伸び伸びと考える力を育てよう、知育偏重の是正をという滔々たる世論の流れを背景に、①から②への変更が何か「改善」であるかのような風潮があったのだ。

 これはほんのささやかな一例でしかない。このような「学習の貧弱化」の例は枚挙に暇がないほどだ。

 「ゆとり教育」を批判する世論が近年になって高まり、それを受けて改訂された学習指導要領では、削減されていた授業時数が増加の方向に向かい、学習内容も復活してきた。小学校では平成23年度から、中学校では24年度から、高校では25年度からそれぞれ実施されている(移行措置はその前々年から)。いわゆる「脱ゆとり教育」である。

 しかし削減しすぎた授業時数を是正すればそれでよいのか。中3の二次方程式の解法を中途半端なところで打ち切らずに、解の公式までをワンセットとして学ぶことに戻せばそれでよいのか。

 これらはもちろん必要なことだ。だが「ゆとり教育」が抱いていた偽善的な学力観は克服されたのだろうか。

 それについて考えるためには、臨教審を経た後の、平成期の文部科学省の学力観を検討しなければならない。

→ 次ページ「〔5〕臨教審の顛末」を読む

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西部邁

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