もう一つの見えない戦争-日露戦争の英雄・明石元二郎-

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英雄・明石元二郎 ~ その素顔は奇人・変人!?

「坂の上の雲」が描く明石元二郎

 本文ではこれまでインテリジェンスと間接侵略について取り上げてきましたが、その成功例として日本史の栄光にして、世界史においても革命工作の金字塔というべき明石工作があります。
 本章ではそれを実行した明石元二郎がどのような人物だったのかを本章では解説したいと思います。戦後、一般的に明石の人となりを広く世に広めたものとして司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』のイメージが強いのではないかと思われます。同書において明石を表す代表的な例として以下を挙げられるのではないでしょうか。

 まず、明石は見た目に無頓着と言われており自身の美醜を気にかけることはなかったといわれています。さらに運動音痴で知られており、軍人でありながら鈍いことがコンプレックスだったが、そのハンデをはねのけてロシアでは語学力を武器に工作していったというものです。
 そして、なによりも明石は清廉潔白な人物だといわれます。これらは明石がロシアで工作を行なうにあたり、日本の国家予算が2億3千万円という時代に合計100万円という現在の価値に換算すれば数億円(一説には数十億円)以上ともいわれる巨額な機密費を渡されましたが、終戦後に本来は国庫に返還する義務のない機密費にも関わらず、27万円を返納したというエピソードが挙げられます。

 しかし、これらは必ずしも明石の全容をとらえたものではなく、むしろ全く事実と異なることもあります。明石の実像を知る上で、明石の死後に関係者が存命のうちに聞き取りを行い刊行された『明石元二郎(上)(下)』(小森徳次、台湾日日新報社、1928年)という伝記があります。このうちの上巻が明石の幼少から日露戦争までの活躍を書いたものになりますので、伝記にもとづいて一般的な明石のイメージの元となった『坂の上の雲』で書かれていることが本当なのか事実関係を見ていきたいと思います。

頭脳明晰!だが、しかし…

 明石元二郎は元治元年(1864)に福岡藩で誕生しました。明治5年(1872)8才の明石少年は福岡小学校に入学します。この頃の様子を小学校で明石の1つ後輩で後に陸軍中将となる白水淡が伝記で伝えるには「当時の明石は常にハナとヨダレを垂らし、みんなから「鼻垂れ」のアダ名で呼ばれていました。しかし、その頃から頭脳明晰で常に学校で1番でした」と言われています。
 たしかに、『坂の上の雲』であるように見た目を気にしないというのは、その通りかもしれません。ただ、当時はまだ小学生ですから汚いのは別段おかしくないとも言えます。ですが、大人になるにつれて普通はある程度は身なりを気にするものなのですが、さて明石はどうなっていくのでしょうか。引き続き伝記を見ていきます。

 明治10年(1877)13歳になった明石は福岡から上京し、陸軍士官学校の幼年生徒となります。明石はその持ち前の頭の良さを活かして語学の才能を発揮し、フランス語はトップの成績を収めました。
 余談ですが、明治の陸軍はドイツを手本に軍制を作っていったといわれているのですが、この頃はまだ江戸時代からの伝統で陸軍はフランス式を採用しており、外国語といえばフランス語の勉強でした。

 成績優秀な明石ですが、相変わらず身なりは汚いです。鼻水を垂れ流して袖で拭くため、袖がいつもテカテカしていたという有り様です。更にこの頃から奇行が目立ち始めます。同窓の牧野清人中将が伝記で言うところには「当時の幼年学校の生徒はだいたい地方の貧乏士族の子どもたちで、金がないものだから、いつも学校内でたむろして悪戯ばかり考えていた」ということで、特に明石は悪戯が目立ったということでした。
 たとえば、幼年学校でミッセルというフランス人の教官が好んでカタツムリ(エスカルゴ)を食べるので生徒たちは先生の機嫌を取ろうとカタツムリを取ってプレゼントするということをしていましたが、この時に明石はカタツムリの代わりにカエルを包んだ紙切れを、ミッセルの机に置いておいておき、包みを開くとカエルが飛び出して教師が怒り狂うという、実に大変楽しい人でした。
 そんなことばかりをやっていたせいで教師に目をつけられたのか、成績優秀にも関わらず陸軍士官学校へ進むのが1期遅らされてしまいました。これに懲りて士官学校に入れば奇行が収まるかといえばそうではなく、どんどんエスカレートしていきます。

 明治14年(1881)17歳になった明石は陸軍士官学校へ入学します。まだまだ軍制はフランス式が幅を利かせていましたが、普仏戦争(1871年)でプロイセンがフランスに勝利したことを受けて、敗戦国のフランス式でなく戦勝国のドイツの軍制を取り入れるべきとなりました。そこで、ドイツからメッケル少佐が日本に招聘され、日本の陸軍の近代化に大きく貢献をしていくことになります。
 ところが明石は相変わらず悪戯ばかりをしていて、そのメッケルから目をつけられる始末でした。伝記のなかで同級生の牧野清人、安藤厳水、安島政信、仁田原重行、立花小一郎らの証言が多々掲載されているので、いちいち紹介しませんが、とにかくお調子者のいたずら小僧というべき人でした。恐らく現代にいれば学級崩壊を引き起こす問題児か教室でハシャギ過ぎて女子に怪我をさせてしまうような男子生徒になっているかもしれません。
 しかし、明石のいたずらには悪意といったものがなく、無邪気にやっていたので、人から嫌われることはなく、特に複数人で悪さを企てた時には自分が進んで教官の叱責を受けるという義侠心をみせたので、むしろ目上からは可愛がられていたと伝記には書かれています。とはいえ、規律の厳しい軍隊社会ですから、規律を乱す明石を快く思わない人もいたことは想像に難くないのですが、さすがに伝記には書かれていませんでした。

 しかし、いたずらは許せたとしても身なりが汚いのにはさすがに周りは引き気味だったようでした。明石は子供の時と変わらず常に鼻水を垂らしては裾で鼻水を拭いて、袖も擦り切れている。靴はかかとを潰して履いているせいで型が崩れてる。手はアカまみれで、紙片を口に含んで噛んでは吐くという悪癖がありました。当の本人はこれらをまったく気にしないという、まともな軍人とは思えない破天荒ぶりを見せています。

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西部邁

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