もう一つの見えない戦争-日露戦争の英雄・明石元二郎-

明石元二郎、世界を知る

 無事に台湾出征を終えた明石は11月に帰国し、翌年の明治29年(1896)に参謀本部に復帰します。この時、川上操六参謀次長によって台湾、仏領インドシナへの視察調査団が結成され、明石も随員に選ばれました。これは川上から明石への期待の大きさの現れであり、明石もその期待によく応えて職務にあたりました。余談ですが、この時の視察がよほど思い入れが深かったのか、明石が晩年に台湾総督になった時に、視察で訪れた当時の台湾を思い出して人に語っていたそうです。

 明治31年(1898)4月にアメリカとスペインの間でキューバの独立を巡って米西戦争が勃発します。『坂の上の雲』ではこの時に日本海海戦で丁字戦法を考えだしたことで有名な天才参謀・秋山真之がアメリカに観戦武官として派遣され、この時のアメリカの作戦を見てのちの旅順港閉塞作戦を考えたというエピソードが書き記されています。
 この時アメリカはキューバだけでなく太平洋にあるスペイン植民地を獲得すべく、フィリピン(国名の由来はスペイン国王フェリペ2世の名前です)でも戦争とは名ばかりの現地民の虐殺をおこなっていきました。明石は5月にフィリピンに観戦武官として派遣されました。フィリピン人がアメリカ軍に為す術なく蹂躙されていく様子をみた明石は日本をこのような目に遭わせてはいけないと心に誓ったのは想像に難くありません。

 そして、不幸なことに明石の才能を見抜いて目をかけてくれていた川上が明石がフィリピンに派遣されて程なくして逝去してしまいました。しかし、明石には恩師の死を悲しむ暇もありませんでした。清国で北清事変(義和団の乱)が勃発したからです。

おおらかな時代のお金の使い方

 北清事変が勃発した翌年の明治33年(1900)6月に義和団を称する暴徒によって北京が陥落します。これを受けて近隣の当事国である日露が交渉をすることになりました。同年10月に36歳となった明石はロシアとの交渉のために北京に派遣されます。
 この時、明石は2人の伴を連れての旅でしたが道中は暴徒によって鉄道が破壊されていたせいで、散々な目に遭いながらの旅だったようです。

 伝記では明石が誰と何の話し合いをしたかは記されていませんが、おそらくは日露を始めとした清国居留の外国人たちの安全の保証や、日露の軍事行動についての事前の打ち合わせがされたと思われます。しかし、有色人種で小国の半文明国という扱いの日本に対してロシアがどこまで対応してくれたかは推して知るべしといったところと思われます。

 さて、そんな折に旅費が底をついてしまった明石一同は道中に知り合いから100円の借金をします。ところが、明石は半分の50円を旅費として使い残りは自分の懐に入れてしまいました。この明石の行いには流石に随伴者も閉口したようですが、一行は無事に下関まで戻ってくることができました。
 下関に着くや明石は旅館で芸者を3人呼んで、お供の2人をねぎらう為と無事の帰国を祝して宴会を開いたのでした。50円をちょろまかしたのはこの時に使う為だったわけです。ただ、実は明石は芸者が好きではなかったようで、「人が大事な話をしている時に口をはさんで邪魔をする」と台湾総督時代に人に語っていたそうです。伝記で伝えられる明石を見ていると恐らく明石は女の子とイチャイチャするよりも男同士でつるんでいる方が好きなタイプだったと思われます。
 この様に明石には私利私欲で何かをするということはない人でしたが、あまり清廉潔白というお硬い人というわけではありませんでした。

 さて、明石が下関でどんちゃん騒ぎをしていた同じ頃、明治33年(1900)11月にロシアと清国との間で第二次露清密約が結ばれ満洲がロシアの勢力圏となりました。ついにロシアはその版図を広げ、朝鮮半島までその手をのばそうかという位置にまでやってきました。幕末以来、最大最強の仮想敵であるロシアがついに日本の目の前まで迫ってきたのです。この時、明石は36歳、日露開戦の3年前の出来事でした。

 明石をはじめ明治の日本人は日本最大の危機に対してどのように立ち向かったのでしょうか。次回、『明石工作』に続きます。

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西部邁

南慧介

南慧介フリーライター

投稿者プロフィール

昭和60年生まれ。広島県出身。

主著 :倉山満『軍国主義が日本を救う』(平成26年、徳間書店)
ほか編集協力

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