日本の総理大臣の外遊先といえばまず米国、そして中韓というのが長く通例であった。だが安倍総理は「地球儀を俯瞰する外交」を掲げ、就任以来わずかのあいだに、ASEAN(東南アジア諸国連合)全加盟国、GCC(湾岸協力会議)全加盟国、インド、トルコ、モンゴル、ロシア、東欧など、従来日本の総理が訪れる機会の少なかった国々を精力的に訪問している。
なかでも、わずか半年の間に二度もトルコを訪問していることが注目される。同盟国米国でさえ、ニューヨークでの国連総会への出席などは別枠だが、我が国の総理が年に二度も訪米することは極めて稀である。安倍総理がトルコに対して並々ならぬ思いを抱いていることは明らかである。
中東地域懐柔の目的は
トルコは世界でも最も親日的な国として知られるが、そのきっかけは明治二十三年のトルコ海軍の軍艦エルトゥール号の海難事件である。遭難したトルコ海軍の将兵を和歌山県串本の人々が必死に救援した美談は、現在でもトルコ国内で知らない人はいない。
昭和六〇年、イラン・イラク戦争中にテヘランに取り残された在留邦人を、民間航空であるトルコ航空が「エルトゥールル号の恩返し」として命懸けで救出してくれたことは日本でも知られているだろう。
安倍総理はまた、サウジアラビアをはじめとする湾岸地域を三ヶ月間に二度も訪問していることから、トルコだけでなくイスラーム圏全体との関係を強化しようと考えていることも明白だ。歴史認識問題を抱える中韓と違って、我が国はイスラーム圏とはなんの歴史的葛藤もない。むしろイスラーム圏は、世界でも最も親日感情が強い地域の一つである。これは我が国にとって限りない可能性を秘めた外交資本であると認識すべきだ。
日本〜中東をつなぐ輪の中には
これは戦後の歴代総理のそれとはまったく異質な首脳外交であり、壮大な世界的ビジョンと地政学的戦略に立脚した画期的なものと言える。その源流は、戦前にさかのぼると筆者は見ている。その一つが「防共回廊」構想である。
防共回廊とは、旧帝国陸軍が極秘で推進していたユーラシア戦略である。満洲人のラストエンペラー、愛新覚羅溥儀を擁立した満洲帝国の建国に引き続き、モンゴルの王族ドムチョクドンロプ(徳王)を擁立した蒙古聯合自治政府(現在の「内モンゴル自治区」)の設立、さらにはウイグル人による東トルキスタン共和国(現在の「新疆ウイグル自治区」)の独立運動を支援する。
そしてユーラシア大陸の深奥に反共親日国家群を回廊のごとく樹立していくことによって、ソ連共産主義の南下を防ぎ、中国共産党(以下、中共と略称)への補給を遮断し、アジアの共産化を防止するという壮大な構想であった。
戦後、防共回廊は「大陸侵略政策」という烙印を押され、タブーとして歴史の闇に封印され、忘れ去られた。だが、七十年の歳月を経て、主たる脅威はソ連から中共へと変遷したが、我が国が置かれた地政学的状況は、防共回廊が構想された時代と基本的には変わっていない。中共の過酷な弾圧下にあるウイグル人のあいだでは、いまも抵抗運動が続いている。
もし日本が、イスラーム圏の支持を得ながらウイグル独立運動を支援し、親日反中国家の樹立を実現することができれば、それは必ずやモンゴル、チベットに波及し、然しもの中華人民共和国も解体を避けられないであろう。防共回廊構想は、いまやアジア各国の重大な脅威となっている中国に対する牽制策として、現代的意義を帯び始めている。
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