「リフレ派のアイドル」バーナンキ氏の虚実 ー 失われた20年の正体(その10)
- 2014/2/8
- 経済
- ベン・バーナンキ, 経済学
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「金融緩和論」とは必ずしも結びつかない、バーナンキの実証分析
バーナンキの議論から「金融緩和こそが不況脱却の処方箋」と結論付けることは、以下の観点で問題があります。
すなわち、本当に「貨幣的要因が重要」であるならば、そもそもマネタリーベース供給の制約が存在しなかった(アメリカを含む)当時の金流入国において、大恐慌のような大規模な経済縮小が生じたことの説明がつかなくなります(実際、1933年の金本位制度離脱前のアメリカにおいて、マネタリーベースが相応の量を保ちながら拡大していたことは、「マネタリズムを検証する」でも述べた通りですし、バーナンキ自身が「大恐慌論」で提示しているデータからも読み取れます)。少なくとも、バーナンキが行ったような単純な比較分析から結論を導き出せるものではないはずです。
言い換えれば(やや抽象的な言い方になりますが)、バーナンキが指摘する通り金本位制度にはデフレーションのバイアスがはたらく、即ち金流入国と金流出国とで非対称な影響が働くからこそ、貨幣的要因の重要性を見極める手段として「金本位制度から離脱したか否か」だけをパラメーターとして採用した単純な比較分析を採用することには方法論上の矛盾がある、という訳です。
また、貨幣的要因の重要性を云々するのであれば、財政出動その他の「非貨幣的要因」も分析のパラメーターに取り入れるべきですが、バーナンキの論文にはそれが欠落しており、その意味でも片手落ちの分析です。
他方で、金本位制度を離脱した1933年がアメリカにとって経済の転換点(大底)になったことは事実です。
そのことからすると、「やはり金融緩和が重要で、金流入国とはいってもそのレベルが不足していたのでは…」という反論が成り立ちそうにも思えます。
しかしながら、アメリカが金本位制度を離脱したのは、金融緩和が不足していたからではありません。
当時、銀行の資金繰りを支援するために設立されていた復興金融公社(1932年1月設立)が、法令の定めに基づき同年8月から融資先である銀行の名前を公表開始したところ、(預金保険制度も無かった当時、人々が「銀行名の公表=危ない銀行の名指し」と受け止めてしまったため)銀行取り付け騒ぎと共に「ドルを金に交換したい」というニーズが高まったことが、アメリカが金本位制度を離脱した真の原因です(このことは「マネタリズムを検証する」で紹介したフリードマンの共著「大収縮1929-1933 「米国金融史」第7章」でも指摘されています)。
つまり、当時のアメリカにとっての金本位制度離脱は、立法府である議会の手落ち(結果論的な表現かもしれませんが)をカバーするためのものであって、金融緩和の不足を補うための政策決定などではなかったのです。
要は、バーナンキのお膝元であるアメリカ自体が、たまたまイベントのタイミングが一致した「見せかけの相関関係」が成り立っていただけで、「金本位制度離脱が大恐慌からの脱却の要因」かどうかを検証するための事例として取り上げるのはそもそも不適当、とすら言えるのです。
(もちろん、当時の日本も含めた金流出国においては事情が異なり、金本位制離脱にはそれなりの意味があったのですが、そのことについては機会を改めて述べたいと思います)
日本では歪んで伝えられている? バーナンキのイメージ
バーナンキがリーマン・ショック前後に行った大規模な金融緩和が、金融市場(金融機関同士の資金のやり取り)をサポートし、一定の貢献をしたことは事実でしょう。但し、そのことと「金融緩和=不況脱却の処方箋」かどうかは別問題です(彼自身、当時の政策は量的緩和ではなく「信用」緩和である、という表現を用いることで、この問題を切り分けています)。
実際、彼はFRB議長退任直前の2014年1月から、それまでの金融緩和政策の縮小を開始していますが、2012年1月から自ら導入した「2%のインフレ目標」を達成しないままの戦線縮小であり(図2で示した通り、むしろ導入以降目標値を下回ったままです)、「不況脱却」の部分では事実上の敗北宣言に等しいでしょう。
結論を先取りするようですが、2011年以降の財政支出総額が頭打ちになっていること(2013年からは完全な緊縮モード)が足を引っ張っており(図2参照)、「金融緩和こそが不況脱却の処方箋」という議論が間違いであることを、バーナンキ自ら証明したといっても過言ではないかもしれません。
【図2:米国の個人消費支出(PCE)デフレータ及びマクロ経済政策の推移】
但し、政策実務者、あるいは政策提言者としてのバーナンキは、決して「金融政策一辺倒」の人間ではありません(このことが彼の名誉につながるかどうかはわかりませんが)。
彼は米政府と米議会が財政政策を巡って対立を繰り返す中、近視眼的な緊縮財政に陥らないよう、関係者に頻繁な働きかけを行っていることがウォール・ストリート・ジャーナルで報道されていますし、「日銀を批判している」とされる学者時代の論文ですら、提案しているのが「財政出動とセットになった、その資金調達面でのサポート」(その意味では、マネタリーベースをGDP対比で既に大幅に拡大している日銀ではなく、本来責められるべきは緊縮財政を止めない財政当局)だったりします(「貨幣をつくって使う」ことを前提とした同論文の記述、いわゆる「バーナンキの背理法」なるものをきちんと読めば、そのことは明らかです)。
しかしながら、そうした彼の実像は、日本の主要メディアでは十分に伝えられていると言い難く、そこにあるのはあくまで「積極的な金融緩和論者」としてのイメージのように思われます(三橋貴明氏の過去のブログ記事にも、そのことについて問題提起したものがありました)。
そうした誤ったイメージ、あるいは学者時代の論文自体が不十分な根拠に基づいていたにもかかわらず「大恐慌の権威」とされていることも含めて、彼こそまさしく、冒頭で述べた「リフレ派のアイドル(=崇拝の対象、偶像、もしくは虚像)」にふさわしい人物なのかもしれません。
(参考文献)
ベン・S・バーナンキ「大恐慌論」(栗原潤他訳、日本経済新聞出版社、2013年)
ミルトン・フリードマン&アンナ・シュウォーツ「大収縮1929-1933 「米国金融史」第7章」(久保恵美子訳、日経BP社、2009年)
高橋洋一「リフレが正しい。 FRB議長ベン・バーナンキの言葉」(中経出版、2013年、第7章)
Ben S. Bernanke: “Japanese Monetary Policy: A Case of Self-Induced Paralysis?” (1999).
Ben S. Bernanke: “Some Thoughts on Monetary Policy in Japan,” Before the Japan Society of Monetary Economics, Tokyo, Japan (May 31, 2003).
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2016年 7月 28日
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