「リフレ派のアイドル」バーナンキ氏の虚実 ー 失われた20年の正体(その10)
- 2014/2/8
- 経済
- ベン・バーナンキ, 経済学
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こんにちは、島倉原です。
今回は、アメリカの中央銀行FRBの前議長(議長在任:2006年2月1日~2014年1月31日)である、ベン・バーナンキの議論を取り上げてみたいと思います。
彼は「大恐慌の権威」として著名な経済学者でもあり、「日本経済の長期低迷は十分な金融緩和を行ってこなかった日銀の責任」とするリフレ派のアイドル的存在です。
加えて、必ずしもリフレ派に属さない経済学者やエコノミストが自説を補強するために「かのバーナンキも~と言っている」と引き合いに出すような場面を、一度ならずご覧になられたことがあるかもしれません。
金本位制度離脱こそが、大恐慌からの回復要因?
大恐慌(全世界的には「世界恐慌」)に関するバーナンキの論文集は、日本でも昨年「大恐慌論」というタイトルで、翻訳出版されています。
そこでは以下のような論理で、「大恐慌からの回復には、貨幣的要因が重要だった」と結論付けられています。
- 大恐慌が起こった当時は、各国が保有する金や外貨準備を裏付けとしてマネタリーベース(中央銀行が現金や準備預金の形で供給するマネー)の供給量が決められる金本位制度が国際的に採用されていた。
- 金本位制度の下では、(経常赤字その他の要因により)金が流出する国では金融引き締めによるマネーストック(筆者注:本来「マネタリーベース」であるべきだと思いますが、原著に従っています)減少を余儀なくされる一方で、金が流入する国では金融緩和によってその分マネーストック増加を強要される訳ではない。このような非対称性が存在する結果、同制度の下では「デフレーションのバイアス」が発生する。
- 上記の様な問題点がある金本位制度を離脱した国の方が、金本位制度を採用し続けた国よりも早く大恐慌から回復したことは、相当はっきりしている。これこそが、貨幣的要因が重要であるという強力な証拠である。
- 貨幣的要因と非貨幣的要因のどちらが重要か、1970年代までは意見の分かれるところであったが、1980年代以降は、戦間期における国際的な金本位制度の運用に焦点を当てた一連の恐慌研究が進展したことで国際比較の視点がもたらされ、「貨幣的要因が重要な因果的役割を果たす」という結論が支持されるようになった。上記の議論はその一環である。
例えば図1は、「大恐慌論」に掲載された表の数字から筆者が作成したグラフです。すなわち、ここで示されたような金本位制度採用国と非採用国(その時点で離脱していた国)のパフォーマンスの差が、バーナンキが言うところの「強力な証拠」であり、これを引っ提げてFRB議長に就任した彼は、サブプライムローン問題の勃発とその後のリーマン・ショックその他の金融危機を前にして、リフレ派が「日銀も見習うべき」と連呼する大規模な金融緩和策を矢継ぎ早に繰り出した、という訳です。
【図1:大恐慌当時の、金本位制度採用別の経済パフォーマンス(1931年=100)】
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2016年 7月 28日
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