漫画思想【04】常識の裏側 ―『アホガール』―

涙の意味

 次は『アホガール②』「その27」からです。この話は、よしこが少年2人と少女1人の子供グループとヒーローショーへ行くというストーリーです。
 そこで少女の希(のぞみ)ちゃんが、ショーの悪役の人質になってしまいます。アホのよしこは、ヒーローの登場を待ちきれずに自分で希ちゃんを助けようとします。少年たちは、はじめは「これはショーだって!! はずかしいだろ!!」という冷静な突っ込みをします。しかし、よしこが希ちゃんを助けることで、希ちゃんがよしこに懐いてアホになることを懸念し、自分たちで悪役と戦って希ちゃんを助けようとします。彼らは、「友達の未来はオレ達が守る!!」と言うのです。彼らは少年と呼ばれる年齢ながら、漢と書いてオトコと読むべき成長を遂げるのです。しかし、彼らの頑張りにも関わらず、希ちゃんは「ありがと――、よしこおねーちゃん!」とよしこに懐くのです。ナレーションも、「少女の未来を守る為、明日も頑張れ少年達」と哀れな少年達にエールを送るわけです。この不条理さに、笑いが生まれるわけですね。
 しかし、注意してみましょう。本当に、それほど単純な話なのでしょうか? もしかすると、きちんとした深い意味が隠されているのかもしれません。それを考察していきましょう。
 ここで注目すべきは、希ちゃんを助ける動機なのです。少年たちは、「ここで、よしこが希を助けたら・・・、きっと、あいつもっと、よしこになついて・・・・・・」と言い、希ちゃんがよしこのようにアホになってしまうことを想像するのです。その上で、「オ・・・オレ達がやるしか!!」と言うのです。つまり、彼らは希ちゃんのことを心配してはいるのですが、それは自分たちが大変になるからだという利己的な理由もあるのです。
それに対しよしこは、これはショーだというツッコミに対し、「ショーだろうが希ちゃんの涙は本物だ!! ならば一刻も早くその悲しみから救ってあげるのが・・・、それが友であり・・・、ヒーローだ――!!」と言うのです。よしこの動機は、希ちゃんの悲しみに根ざしているのです。そうです。ショーの上での話だとしても、怖がっている希ちゃんの涙は本物の涙なのです。
少年たちの動機には、残念ながら、希ちゃんの悲しみという現在の視点が欠けていたのです。現在の悲しみを見失った者が、未来を語ったとしてもその思いが届くことはないのです。戦いの後、希ちゃんがよしこへの感謝を強く示すのも当然だと言えるでしょう。よしこは確かにアホです。ですが、アホゆえに、ショーというお約束によって隠されてしまった本物の涙を見抜いたのです。そして、希ちゃんもそれに応えたのです。見事というしかないでしょう。

名前と関係

 『アホガール④』「その56」では、名前をめぐる興味深いやりとりが出てきます。
 よしこは、飼っている犬を「犬」と呼んでいます。それに対し、幼馴染のあっくんは、犬にきちんとした名前を付けるべきだと主張します。よしこは、「犬なのに!?」と返して笑いが生まれます。このやり取りを見て、よしこはアホだなと思ってしまいます。しかし、もしかしたら、よしこの言い分にも理があるのかもしれません。
 なぜなら、人間と犬は遺伝子的に決定的に異なっているからです。すなわち、種族が違うのです。ならば人間は、犬を「犬」と呼んで何が悪いというのでしょうか?
 ここには、人間が動物を家畜と見なすときとペットと見なすときの基準が暗黙的に示されています。次のやり取りでは、犬に名前を付けるということの特別性が見事なまでに示されています。

あっくん: それはてめぇを「人間」って言うのと同じだろ……。
よしこ : どういうこと!? やってみて!!
あっくん: 心の底からアホだな人間は…。
よしこ : 下界を見下す神のようだ!!

 素晴らしいやり取りです。ここでは、対象を種族名で呼ぶことと名前を付けて呼ぶことの相違が、非常に分かりやすく的確に描写されています。人間が犬を「犬」と呼ぶことは、人間と犬との関係が、神と人間のごとき隔たりとして存在しているということです。逆に言えば、名前を付けて呼ぶということは、種族の別を超えた近しい関係性の誕生を意味するのです。
 個別の対象に名前を付けるということは、その個体を特別視することになります。人間は言葉の動物ですから、名前を付けることによって、その対象を今までとは違った感情をもって接することになるのです。犬を「犬」ではなく「名前」で呼ぶことで、一対一の深い関係性が築かれていくことになるのです。つまり、家畜ではないペットとしての視点が芽生えるのです。
 こういった心的な作用は、通常は意識されません。しかし、よしこが犬を「犬」と呼ぶという特殊な状況を提示することで、その隠されていた心的作用が明らかになったのです。「種族」で呼ぶか「名前」を付けるか、その決定が、人間の心に及ぼす影響にまで考察が進むのです。名前というものが持つ魔力が、寓話として見事に表現されていると言えるでしょう。

危険な思想

 『アホガール⑥』「その88」は、よしこと子供グループ(少年2人と希ちゃん)の掛け合いです。
 子供たちが将来何になりたいかというテーマで話していたところ、少年2人は警察官やパイロットという夢を語るのですが、希ちゃんはなんと「私は よしこ おねーちゃんみたいになりたい!」と言い出すのです。
 もちろん少年たちは、あっくんにも説得を頼み、希ちゃんの考えを止めようとします。あっくんは、よしこが人に迷惑をかけていることを指摘します。それに対し、希ちゃんはよしこがみんなを幸せにしていると返答するのです。
 希ちゃんの考えは、なかなかに強力で堅固です。彼女が「つらい時もめげずに笑顔でいられるって、お仕事できるとかより素敵だなーって思うの!」というとき、少年たちも「あれ!? 一応 考えてるの!?」と思ってしまうほどです。彼らの掛け合いの続きを見てみましょう。

少年たち: アホだからつらいとかわかんないだけだろ!?
希ちゃん: うん! だからぁ・・・
世界中みんな おねーちゃんみたいになったらいいな――
少年たち: 何て恐ろしい事を!!!
あっくん: 危険な思想だ・・・
希ちゃん: とっても平和な世界になると思うー
少年たち: それ平和!? 文明なくなるよ!?

 この思想は、あっくんの言うように確かに危険です。なぜなら、単に間違った考えというわけではなく、そこには確かに世の中の真理が含まれているからです。思想史的に言うなら、初期仏教との類似性を指摘できるでしょう。煩悩を断ち切り、執着を離れることと、その効果が似ているからです。すなわち、アホになってつらい時も笑顔でいられるという教えを説く、アホ真理宗の誕生です。
 この宗教の正否は、おそらく希ちゃんにかかっています。ブッダやイエスも直接には著作を残さなかったため、その教えの普及には優秀な弟子を必要としました。よしこもまた、著作を残すことはないでしょう。ですから、教祖よしこの生き方を、理論的に教えとして書き記す優秀な弟子がどうしても要請されるのです。希ちゃんには、よしこのアホ行動を整理し、他の信者に教えとして説くという弟子の役割が求められることになります。それが首尾良く行われたとき、文明さえもどうでもいいと思える者たちによる、確かな心の平穏を保った世界がおとずれることになるのです。

常識との戦い

 以上のように、『アホガール』は大変味わい深い作品です。「『アホガール』なんて読んでいるとアホになっちゃうわよ」という、大人の表面的で偽善的な言葉に騙されないように注意してください。そんな奴らは、世の中の常識に縛られ、その構造を見抜くこともできない実に薄っぺらい奴らなんです。ほ、ほんとだよ?(なぜか疑問系)


※次回は7月上旬公開予定です。
※本連載の一覧はコチラをご覧ください。

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西部邁

木下元文

木下元文

投稿者プロフィール

1981年生。会社員。
立命館大学 情報システム学専攻(修士課程)卒業。
日本思想とか哲学とか好きです。ジャンルを問わず論じていきます。
ウェブサイト「日本式論(http://nihonshiki.sakura.ne.jp/)」を運営中です。

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