近代を超克する(23)対リベラリズム[6]カントとヘーゲル

ヘーゲルの自由

 ヘーゲルは世界を、矛盾を止揚しながら発展する弁証法的過程としてとらえていました。
 彼の哲学においては、意志が自由であり、自由なものが意志であるとされています。そのため精神は絶対的自由であり、それは一般的意志と個別的意志の対立を和解させ、ゲルマン人の精神の国ドイツで実現すると考えられています。自由の具体的概念は、自我が自分のものであり、かつ普遍的なものでもあることだというのです。
 自由が現れると、法や権利となります。善は実現された自由であり、世界の絶対的な究極目的だとされています。倫理は自由の理念や概念であり、義務とは肯定的自由の獲得であり不自由の制限だとされています。国家は具体的自由の現実性だとされています。ヘーゲルにとって、自由は目的であり、自分と普遍が一致に近づいていくことで実現できるものなのです。
 ヘーゲルの死後に、ヘーゲル学派の弟子たちによって編纂された『歴史哲学講義』には、次のような記述があります。

 かくて、世界史の対象を明確に定義すれば、自由が客観的に存在し、人びとがそこで自由に生きる国家がそれだ、ということになる。というのも、法律とは精神の客観的なあらわれであり、意思の真実のすがたであって、法律にしたがう意思だけが自由だからです。意思が法律にしたがうことは、自分自身にしたがうこと、自分のもとにあって自由であることです。父なる国家が共同の生活を保障し、人びとの主観的意思が法律にしたがうとき、自由と必然の対立は消滅します。理性的な共同体が必然的なものであり、共同体の法律を承認し、その共同精神を自分の本質でもあると考えてそれにしたがう人間が、自由であるとすれば、ここでは、客観的意思と主観的意思が調和し、純一な全体がなりたっているのです。

ヘーゲルの検討

 端的に言ってしまうと、ヘーゲルの自由は欠陥品です。
 自分と普遍が一致していくと考えることは傲慢です。世の中は、静態的ではなく動態的であり、不確実性が存在するからです。ヘーゲルの論理では、ヘーゲルの言うことが自由であるとして他者へ押し付けるか、ドイツの言うことが自由であるとして他国へ押し付けるかして、世界における軋轢を高めてしまいます。世界の安定は、それぞれの言い分の調和にかかっているのであり、それぞれの言い分が一つに一致することではありません。そんな簡単な解決は、世界の豊穣性が許さないのです。


※第24回「近代を超克する(24)対リベラリズム[7]ミル」はコチラ
※本連載の一覧はコチラをご覧ください。

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西部邁

木下元文

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投稿者プロフィール

1981年生。会社員。
立命館大学 情報システム学専攻(修士課程)卒業。
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