ルソーによる民主政への見解
ルソーは、面白い皮肉を述べています。もし人民が神々のようなら、民主政の統治を行うというのです。なぜなら、これほど完璧な政体は人間には適さないからだというのです。ここには、多数者が統治して少数者が統治されるということが、自然の秩序に反しているという考えがあるのです。
ルソーの考えの検討
一般意志とは、国家における部分的社会(つまり中間組織)がない状態で、各市民が共同利益について自分の意見を述べることで導かれる意志のことです。そして、愚かなルソーの一般意志は、社会を失敗へと導きます。
なぜなら、公共性とは、いくつもの中間組織の特殊意志の均衡として仄見えてくるものだからです。単なる特殊意志の総和でもなく、特殊意志の過剰と不足を除去するのでもなく、特殊意志のせめぎ合いの中に調和を見出すことが重要なのです。中間組織をなくした砂流の個人の意見は、安易で都合の良い考えに流されがちなものなのです。そんなものでは、国家や社会をうまく運営することは難しいでしょう。中間組織には、歴史の蓄積による智恵が蓄えられています。それらを除いた個人の意見など、たかが知れているのです。
ただし、ルソーの意見として、傾聴に値するものもいくつかあります。例えば、民主政という完璧な政体は、神々からなる人民には合うかもしれないが、人間には適さないという指摘です。他には、投票制が適しているのは、貴族政だという指摘です。
また、単一政体や混合政体などの政体については、状況の組み合わせの数だけ正しい解答があるという意見も正しいと言えます。ただし、補足が必要です。混合政体よりも単一政体の方がうまく行く状況は、確かにありえます。しかし、数ある状況の全体をぼんやりとでも捉えようとしたとき、ほとんどの状況を混合政体で対処することができると思われるのです。単一政体の方が有利な状況においても、混合政体の内の一要素を伸ばして対処する方法を選択する方が、数多くの状況に対処しなければならない国家に適していると思うのです。なぜなら単一政体で対処できる状況はわずかであり、対処できない状況がほとんどだからです。
※第14回「近代を超克する(14)対デモクラシー[7] モンテスキューとバジェット」はコチラ
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