⑦「国体」という言葉は、まさにその国の国柄、国家体制のあり方を表わす言葉ですが、戦前の国家体制に対するアレルギーから、すっかり使われなくなってしまいました。しかし、アレルギーから自由になってよく冷静に考えてみましょう。この言葉は、憲法のなかで、日本がどういう国なのかということを端的に説明するために、まことに簡潔で便利、しかも格調のあるふさわしい言葉ではないか。
これまで、保守派の間でも国のかたちを構想する場合、「国柄」というソフトな言葉がよく用いられてきましたが、じつはこの言葉は、外国の文化風習などについて話す時に「お国柄ですね」というように、気安く使われるところがあります。それだけ含むところが広すぎて概念として曖昧なので、憲法の用語としてはふさわしくないと思います。すぐに実用性を顧慮する必要のない思想言語としての憲法を考えるかぎり、堂々と「国体」という言葉を用いるべきでしょう。日本国の国家体制は何であるかということを何よりも先んじて明瞭に規定する必要があるからです。constitutionが「体質」を意味するという点にも合致しますね。このことは、これから先、誰が新憲法を構想する場合においても貫かれるべきです。ヘンな連想ゲームはもうやめましょう。
⑧さて最後に、最も大事なことを書きます。
現在、憲法を考えるとき、「主権」をどこ(誰)に置くかという点が真っ先に取り上げられるのが習いです。もちろん、帝国憲法の主権者(正確には元首)は天皇、戦後憲法の主権者は国民ということになっています。当然、どの改正案でも、主権者を「国民」とすることは、最重要な規定であり、しかも自明のこととして通用しているようです。
しかし、私はこれを根本から疑います。もともとこの「主権(sovereignty)」という言葉は、ヨーロッパの国王が教皇権に対して自らを統治者として正統づけるために用いた言葉です。それが近代になって王権の実質的な崩壊とともに、では誰が統治の主体なのかという問いが持ち上がり、とりあえず「国民」という茫洋たるフィクションにその役割を託したわけです。けれども国民が国民をみずから支配統治する、というのは、どう考えてもロジックとしておかしいですね。現実に平凡な国民の一人ひとりが国家体制の運営主体として自分たち自身を支配・統治するなどということがどこかで行われたためしがあるでしょうか。
日本には、こんな概念はもともとありませんでした。いまの人たちはほとんど、日本は民主主義国家なのだから国民主権は当たり前だと思って何の疑いも抱かないようですが、外来のこの言葉が、近代日本の国家機構の仕組みを説明するために本当に不可欠かどうか、まずは疑ってみてはどうでしょうか。こんな言葉を用いなくても、現在の国家体制(選挙によって選ばれたメンバーによる代議政治、三権分立の仕組み、国民の諸権利の保障など)を少しも変えずに合理的に説明することは可能です。
第一、自民党版も産経版も、天皇を「元首」としながら、いっぽうで「主権者は国民」と謳うのはおかしいではありませんか。「元首」も同じsovereignですよ。もちろん、日本語として違うのですから、両方を用いてもかまわないとも言えますが、もしそうするなら、憲法を構成するこれらの最重要の概念について、日本語としての両者の違いをきちんと説明すべきでしょう。
「国民主権」を謳わないと、専制権力のほしいままを許すのではないかという過剰な恐れが多くの人の間にあるようですが、そういう恐れを払拭するためにこんなアクロバティックな論理を用いる必要はまったくありません。二つのことを謳っておけば済む話です。
ひとつは、現実の統治権は国民によって選ばれた代表者が握り、代表者は常に国民の福利と安寧のために尽くす義務と責任があるということ。もう一つは、国民にはこれこれの権利があり、それは侵されてはならないということ。
よい国家とは、すぐれた統治者による、民のための政治が行われる国家であって、民はその恵沢を享受する権利があるのです。「国民」という抽象語に統治権、支配権を託すなどというわけのわからぬフィクションは、冗談としか思えません。
さて以上の考え方に従って、次回は、「私の憲法草案」を提示しようと思います。そこでは、国政にかかわるかぎりでの「主権」という言葉をいっさい用いません。ただし、国際関係の場では、一国はあたかも社会のなかの「個人」あるいは「特定集団」のような位置にありますから、それらが自分たちの生を自己管理しなくてはならないのと同じように、他者(他国)との関係において、「国家主権」という概念を用いる必要があるのは当然です。
*なお、今回の記事のより詳しい展開をお知りになりたい方は、拙著『なぜ人を殺してはいけないのか』(増補版・PHP文庫)を参照していただければ幸いです。
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