6月17日、選挙権を与えられる年齢が18歳まで引き下げられるように改正された公職選挙法が参議院の本会議の決議を経て、通過しました。
2016年、夏の参議院選挙から18歳以上の日本国籍を有する全ての人々が選挙権を有することになります。世界的にも18歳から選挙権を与えている国が多いことから、「グローバルな基準にあわせた」と好意的な記事が多いように思います。
私自身は、安倍内閣の国民教育への強い意志が感じ取られました。
18歳は“義務教育”からの卒業
文部科学省の発表によれば、定時制も含めた高校への進学率は98.0%であり、高校の授業料に関する補助制度もあることから、実質的に高校は“義務教育”といっても過言ではない状況になりつつあり、18歳という年齢は“義務教育”が終わる年齢ともいえます。
裏返していえば、高校までの教育において、一票を投じるに足る「主権者」としての教育を施していくという宣言ともいえます。奇しくも、大学を含めた高等教育機関の改革案も提示され、「専門的職業人」を育成する教育機関が平成31年を目処に作られていきます。そのことからも、高校までの課程では読み書きそろばん、あるいは「主権者」たる素養を鍛える教育を施していくことが推測できます。
主権とは力である
そうなると、「主権者」とは一体何者なのかを考えなければなりません。
英語では、“sovereign power”となります。“sovereign”というのは、君主、元首といった意味があります。つまり、主権は「君主や元首の持ちうる力」ということです。すなわち国民主権は国民が君主や元首から力を勝ち取り、自らの国の進路を決めていく力を得たということです。
つまり、「主権者」は国家の行く末を鑑みて、政治や経済だけでなく、あらゆる分野に判断をしていくことができる、いやそうすることが必要がある人々のことです。
今の日本に「主権者」はどれほどいるのか
上のように「主権者」を定義して、自らを振り返ってみると、私自身、「主権者」足りうるとはいえない点が多々あります。それは、教育の制度や中身を変えれば達成しうるものなのか、それとも、教育ではなく別の要因が絡んでくるのか、あるいはそもそも「主権者」を育てることなど不可能なのか。
その議論が政府やその他の機関で行われているか否かは私の知るところではありませんが、いかんせん、私たちが受けてきたような教育では「主権者」が続々と育っていくようには到底思えません。
「主権者」の元になる「國體」を明確にする
ただ、方法論として、気をつけなければいけないのは「主権者」を育てる前に、「主権者」が理想とすべき国家像が必要となるということです。「主権者」はあくまで力を行使する人々であり、その力を持って何をなすべきかを示すのは「主権者」の仕事ではないのです。
そういう意味で、時代が変わっても変えてはいけないもの、端的に言えば「國體」を明確にして、時代に見合うようにアップデートしていかなければいけないでしょう。「國體」に関しての議論を始めていくことこそ、次世代に残していける最高の遺産になるのではないでしょうか?
コメント
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民主主義が合わない國體もあるのではないでしょうか。