集団的自衛権と憲法改正(その1)

 さて国会での審議が始まってみると、予想通り、民主党をはじめとする野党は、言うに事を欠いて「反対のための反対」に終始したり、20年以上も前の内閣答弁を問題にしたり、事前通告なしの質問で閣僚の困惑を誘い出したり、挙句の果てには審議拒否したりと、あの手この手を使って引き延ばしを図り、そのくせ「国民によく知らせないうちに決めようとしている」などと矛盾したレトリックで国民を丸め込もうとしています。
 折しも、年金機構の大量の情報流出があり、野党は年金機構のずさんさについての責任追及を第一優先順位としました。明らかに廃案狙いの時間稼ぎですね。さらにそこへ、国会の参考人として呼ばれた憲法学の専門家3人がこぞって、安保関連法案について「憲法違反だ」と表明する一幕などもあって、野党はまさに勢いづいています。自民党幹部に焦りが見え出したとか。
 民主党をはじめとした野党はしばらくの間、鬼の首でも取ったように騒ぎ立てることでしょう。矮小であり、みっともなく、この上もなく下品で、しかも鈍感そのものです。彼らは日本の安全保障を本気で考える気があるのでしょうか。つい目と鼻の先では、某国が南沙諸島を着々と実効支配し、これを国防白書によって「海上軍事衝突に備え」と明白に位置づけ、さらに膨大な軍事予算のさらなる拡大に走っているというのに。
 いま日本の国会は、著しく質が低下していると思います。閉鎖的な「字(あざ)国会村」のなかで一本取った取られたで大騒ぎし、その視野がまるで国際社会や国民全体に及ばない。それもこれも「大字(おおあざ)日本村」が、長く続いた平和ボケのために、戦後民主主義という学級委員会体制にすっかり染まってしまったからでしょう。
 よく学者先生が口にしますね、「なるべく多様な意見を集めて、時間をかけて議論し云々」と。しかしそれからどうするのですか。いつかは誰かが価値決定をし、決断に踏み込まなくてはならないのです。バカな意見を百個、千個、一万個集めても、バカであることには変わりありません。世界の動きは、そんな悠長なことを許してくれるほど呑気ではないのです。
 私は、この種の国会論戦なるものをまともに相手にする気がしません。マスコミはさも日本の国論を二分する重要な局面であるかのように連日取り上げていますが、いかにも大袈裟ですね。国民の多くはとっくに白けているでしょう。勝負ははじめから明らかであり、しかも勝つ側が、国民の命をあずかる為政者として、至極当然の義務を遂行するだけのことなのです。時間をかければかけるだけ無駄であって、じつにくだらない論戦です。いや論戦ですらありません。ただの時間の無駄遣いです。一刻も早く決着をつけることを心から望みます。
 関係閣僚もおそらく同じ思いでしょう。しかし政治家は、まさかそういう本音を吐くわけにはいかず、じっと我慢しているのでしょうね。少なくともその忍耐力にだけは敬意を表してもよいと思います。

 三人の「憲法学の専門家」がこぞってこの法案は憲法違反だとのたまった件についてですが、政治学者の櫻田淳氏が、フェイスブックでこれについてうまいことを言っています。

「牧師と法律家には、政治を語らせるな」。
 どぎつい言葉遣いであるけれども、これは、政治認識の基本である。
 何故か。
 牧師の価値判断の基準は、「道徳上、正しいか正しくないか」である。
 法律家のそれは、「法律上、正しいか正しくないか」である。
 政治を語る際の基準は、「それが必要か必要でないか。あるいは賢明であるか愚劣であるか」である。「道徳上、いかがわしかろうと、あるいは法律上、怪しかろうと、それが国家、国民のために必要であるかどうか」が、政治家の態度である。(以下略)

 その通りですね。だから政治家は政治家らしく、速やかに賢明な判断を下せばよいので、「憲法学者」のご高説は、「貴重なご意見をありがとうございました。参考にさせていただきます」とでもあしらっておいて、あまり重く受け止める必要はないでしょう。
 ところで私は、この憲法学という「学問」について、日ごろ「あなをかし」と思っていることがあります。
 もちろん、憲法なるものの淵源と沿革を探り、その精神の核心がどこにあるかを見出し、世界の憲法を比較しわが国の国情を洞察し……といった考究を経て、もってこれからの日本にとっていかなる憲法が適切であるかを指し示すという理念を実践しているなら、何も文句はありません。
 しかし、かの「日本国憲法」、GHQが占領統治のために10日ほどで草案を作り上げて日本に押し付けたことで名高い「日本国憲法」を、後生大事に神棚に祭り上げ、各条文の背後にある「深い学問的意義」などを大真面目に研究している日本の「憲法学者」とはいったい何なのでしょう。あんな俄かづくりの代物に、そんな深い学問的意義などあるはずがないことは、条文をざっと眺めただけでわかるではありませんか。
 しかもそれを絶対の基準として、それに合うか違うかを詮索しては、荘重な調子で「合憲である」「違憲である」などとやっている学者先生には、現実を現実として見る思想センスがまったくないとしか言いようがありません。たとえ憲法といえども、生きた社会の動きにつれて合わなくなるのは、成長期の子どもの服がすぐつんつるてんになってしまうのと同じこと、少しはそういう時代感覚と価値判断力を具えてほしいものです。
 と、こう書くと、これだから素人は困る、たとえ「押しつけ憲法」であろうと、その背後には、そこに達するまでの長い長い思想的格闘の歴史があり……などと言い出す人が必ず現れてくるでしょう。なので、ここでは、私だってそれについて考えてこなかったわけではないんですよとだけことわっておきましょう。次回は、そのことも含めて、憲法改正について述べます。

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西部邁

小浜逸郎

小浜逸郎

投稿者プロフィール

1947年横浜市生まれ。批評家、国士舘大学客員教授。思想、哲学など幅広く批評活動を展開。著書に『新訳・歎異抄』(PHP研究所)『日本の七大思想家』(幻冬舎)他。ジャズが好きです。

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