団塊文芸批評家のずっこけ

政治的視点だけでは文学を味わうことは出来ない

 この文章、サヨク(ここではあえてカタカナで表記します)批評家の面目躍如たるものがあり、混乱と論理のすり替えがあらわです。どこかの新聞に似ていますね。
 まず、「反戦的な、感動的な」と形容詞を連ねることで、あたかも両者が同一視できるか重なり合うものであるかのような効果を狙っています。これは文芸批評家がなすべきことではない。

 次に、百田氏を「愚劣ともいえる右翼思想の持ち主である」と決めつけていますが、先に述べたように、百田氏の主張は特に愚劣な右翼思想とは言えません。こんな決めつけをする加藤氏は、その根拠を丁寧に説く必要があるでしょう。

 しかしまあ、以上二、三行は、全体としては私も同じようなことを述べているので、見逃してもよい。反転させれば大江氏にも当てはまるわけですからね。よくないのは、それをことさら「いまはじまったこと」として強調している点です。この強調には、安倍政権誕生などの時代の変化に対する彼の危機意識があらわれていますが、同時にこの変化に彼の左翼性がついていけず、それを単純に「悪」としてしか見ていないことも表しています。

 次に、感動を操作可能にするのは作家であって読者ではありません。加藤氏はそこを混同しています。そうしてそういうテクニックが作家にとって昔から必要なものであったことは自明です。ところで読者には「感動しながら、同時に自分の『感動』をそのように、操作されうるものと受けとめる」ことなどが求められているでしょうか。文学作品がもたらす感動自体は、作者のイデオロギー的な操作によるものとは別物で、そうでなければ、その感動は偽物でしょう。

 このくだりは、加藤氏が「右翼作家」の作品に自分が感動してしまったことを恥ずかしく思っている証拠を示すもので、そこには、「操作による現代大衆文学の安っぽさ」という客観的めかした評価(この評価は正しくありませんが)によってその恥ずかしさを押し隠そうとしている意図がありありです。私なら、ある作品に感動した場合、その作家が右翼だろうと左翼だろうと、まず素直に自分の感動を認めます。そうして、それがどこから来るのかの秘密を、イデオロギーその他の夾雑物を排して、作品そのものの内部と読者である自分の内面とに探ろうとするでしょう。加藤氏はその作業を怠っている代わりに、「いまではこう変わった」を強調し、自分の感動を「右翼によって操作されたもの」として片づけようとしているのです。これも文芸批評家として失格です。
 さらに、「左右の『イデオロギーに傾かない』、『戦争の過去を尋ねる』、『反戦的な特攻小説に感動する』ことも、ときには立派に好戦的なイデオロギーの発現になりうる」という部分ですが、これこそ語るに落ちたというべきです。なぜ「反戦的な特攻小説に感動する」ことが、「立派に好戦的なイデオロギーの発現になりうる」のでしょうか。まったく論理がつながりません。それもそのはず、加藤氏自身がはじめから左翼的な陰謀論にもとづいてこの文学作品に接しているからです。私が加藤氏の本当に言いたいことを代弁してみましょう。

「右翼作家・百田は、巧妙に読者の感動を操作することによって、狡猾にも好戦的なイデオロギーを流布した。これは反戦的と見せかけて、読者を籠絡するプロパガンダ小説である。私もちょっと感動したけれど、その感動の出どころは安っぽいイデオロギーだとわかっているので、だまされないぞ」
 ちなみに、この作品の感動がどこに由来するかについては、私なりの考えを前回の記事で展開しました。

 最後です。

 加藤氏は、「いまでは、感動することもまたイデオロギーに染まること。――そういう時代がきた」と言っていますが、これは極めて文学読者をバカにした発言です。

 もちろんすべての読者が自分の感動の理由をうまく言葉にできるわけではありません。またゼロ戦で悲壮な最期を遂げる宮部久蔵の姿にひたすら感動して、そこから特攻隊精神なるものの「美しさ」にあこがれ、「好戦的なイデオロギー」に染まる人もいるでしょう。しかしもし加藤氏の言うとおり、「感動すること」一般が「イデオロギーに染まること」一般を意味するなら、読者に多様な感動のかたちを提供する文学本来の生命は扼殺されたことになります。そんなバカなことはない。

 いえ、こういう断定的な表現を用いつつ、文学の生命を単純な左翼イデオロギーによって扼殺しているのは、だれあろう、文芸批評家・加藤典洋その人に他ならないということに、ご本人は気づいているでしょうか。

 かくしてこの批評家はずっこけたのですが、評判の悪い多くの団塊世代と同じく、冒頭で述べたような、敗戦から地続きの生活感覚をきちんと思想に反映させることができるという、この世代のメリットを生かしていないことが、とても残念であります。

*憲法改正についての私の考えにご関心のある方は、以下へどうぞ。
http://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo/e/f923629999fb811556b5f43b44cdd155?fm=entry_awp
http://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo/e/2aff34e653f463326a618d7e7376983f

 

1 2 3

4

西部邁

小浜逸郎

小浜逸郎

投稿者プロフィール

1947年横浜市生まれ。批評家、国士舘大学客員教授。思想、哲学など幅広く批評活動を展開。著書に『新訳・歎異抄』(PHP研究所)『日本の七大思想家』(幻冬舎)他。ジャズが好きです。

この著者の最新の記事

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

  1. 2015-7-24

    ラムズフェルド回顧録

    「真珠湾からバグダッドへ ラムズフェルド回想録」書評  政治家と政治学者。  ともに政治に対…

おすすめ記事

  1. はじめましての方も多いかもしれません。私、神田錦之介と申します。 このたび、ASREADに…
  2.  アメリカの覇権後退とともに、国際社会はいま多極化し、互いが互いを牽制し、あるいはにらみ合うやくざの…
  3.  お正月早々みなさまをお騒がせしてまことに申し訳ありません。しかし昨年12月28日、日韓外相間で交わ…
  4. ※この記事は月刊WiLL 2015年1月号に掲載されています。他の記事も読むにはコチラ 新しい「ネ…
  5. ※この記事は月刊WiLL 2015年4月号に掲載されています。他の記事も読むにはコチラ 「発信…
WordPressテーマ「AMORE (tcd028)」

WordPressテーマ「INNOVATE HACK (tcd025)」

LogoMarche

ButtonMarche

TCDテーマ一覧

イケてるシゴト!?

ページ上部へ戻る