日本の科学教育は大丈夫か

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母国語で科学が学べる国

 情けないのは、韓国がもともとは漢字文化圏の国であり、日本統治時代に多くの漢字の単語を日本語から受け入れたにもかかわらず、戦後、独立した韓国が、漢字廃止政策によって、日本と同じ文化基盤であったはずの漢字文化を喪失し、自国語(韓国語)で科学を教育して発展させることを難しくしてしまったことだが、ここではその問題には深入りしない。

 ここで私が皆さんに注目してほしいのは、「英語は喋れない」物理学者でも、日本語ができればノーベル賞を取ることができた、ということなのである。

 それはなぜなのか? たとえば物理学や数学で、日本人が当たり前のように使っている日本語の単語を挙げてみよう。質量、運動量、角運動量、電荷、磁束、原子、分子、電子、微分、積分、行列、固有値など……。これらの日本語の言葉を、日本人は当たり前のように使っている。

 別に物理学者でなくても、こういう物理学の概念を表す単語を、日本人は母国語である日本語で理解し、語ることができる。そして、それらを中学生や高校生に日本語で語り、教えることができる。

 だが、非欧米の国々の多くにおいて、これらの単語が表す自国語の単語はなく、結局、英語やフランス語の単語をそのまま使っている国のほうが普通なのである。

 そんな世界のなかで、日本人は欧米が生んだ自然科学の概念をこのように短く、分かりやすい単語に訳して、外国語を全く知らなくても学び、語れる言語空間を近代化の早い段階で完成してしまったのである。

 しかも、ここが日本人の素晴らしさであるが、エネルギー、ポテンシャル、モーメント、エントロピー、フラクタル等、日本語に訳しにくい言葉や概念は無理に訳さず、カタカナで表すという心憎いことをしている(カナを持たない中国人の場合はこれができずに苦労している)。

 このように、日本人は近代化の早い段階で欧米の自然科学の基本的な概念を自国語に訳し、表現することに成功しており、それが明治中期から今日に至るまでの日本の自然科学の隆盛の基盤になっている。だから益川教授は、英語が喋れなくてもノーベル賞を取れたのである。

「日本は東洋であり西洋」

 かつて医学生だった頃、私は解剖学の図譜(アトラス)を読むことに夢中になった時期がある。解剖学など、人体の様々な名前を覚えるだけで無味乾燥だと感じる医学生も多いが、語学が好きだった私はこれに熱中した。

 そしてその際に感嘆したことは、まさしく「星の数ほど」無数にある人体の部分を表すラテン語の名前が全て、完璧に日本語に訳されているという事実だった。それは驚くばかりに系統的で、理路整然とした翻訳の体系であった。しかも、ラテン語が表す個々の名の意味が見事に漢字で表わされているのである。

 これらの訳語は、幕末から明治時代にかけての日本人たちが、いかに漢字に使い馴れていたかを医学生だった私に痛感させた。そして、それらの日本人たちが医学のみならず、数学や物理学や化学、さらには経済学などもそうだったのかもしれないが、欧米で生まれ、発展した近代科学の諸概念を私たちの母国語である日本語の一部にしてしまったことの功績に心を打たれずにはいられなかった。

 これが日本の文化である。そして、それはもちろん、いまも生きている。

 英語をはじめとする外国語を学び、世界から新しい知識、情報を吸収し続けることは、これからももちろん重要である。そして、それを英語をはじめとする外国語で世界に発信することも、もちろん重要である。

 しかし、漢字を基盤とする日本語によって非西欧の国・日本が、分野によっては西欧を凌駕さえする科学を自身のものにしたことは偉業であり、日本が過去から受け継いだ偉大な遺産なのだ。

『地獄の黙示録』などの作品で知られるアメリカの映画監督、フランシス・フォード=コッポラ氏は、かつてこんなことを言ったことがある。

「日本人は、自分たちのことを東洋人だというけれど、日本は西洋でもある。数百年間、両面を持ち続けてきた国だと思う。それに、そのふたつが必ずしも混乱しているとは思えない」(『月刊PLAYBOY』一九八〇年五月号、プレイボーイ・インタビューより)

「日本は数百年間、両面を持ち続けてきた国」──つまり、日本は初めてヨーロッパ文明に出会った時代から西洋でもあった、と言っているのである。

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西部邁

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コメント

  1. 9月からASREAD投稿者として参加させていただいている評論家の小浜逸郎と申します。
    このたびの記事に全面的に賛意を表します。日頃うすうす考えていたことを明快に説いていただき、たいへん心強く思いました。
    母国語で物理用語を編み出した明治の先人たちの血のにじむような努力を、平成の教育が破壊していると思うと、許すことができない気分になります。

    ゆとり教育が推進されていた当時、これはえらいことになったと感じて、ささやかな反対の論陣を張ったのですが、現在もなおその弊害がそのまま残っているのですね。本当に嘆かわしいことです。

    この困った潮流に対して少しでも抵抗を試みようと、最近、ごく少数の仲間に呼びかけて「ガリレイの会」なるものを始めました。素人オヤジが集まって、かつて学んだ高校理科を復習していこうという試みです。おっしゃる通り、物理、特に力学は、自然がどんな姿をしているかを理解する基礎ですから、まずは力学から始めています。

    これからもよろしくご鞭撻をお願いいたします。

    • 許康人
    • 2014年 12月 02日

    ● 科学教育を問うその前に
     ご高説は良いのですが、西岡氏ご自身たちの行っていることは一体何なんでしょうか。複数のFacebookのグループを立ち上げて、他人の誹謗中傷を多々行ったりしてますよね。

    議論を回避する教室?その前に西岡氏自身、それを否定する行動を行ってますよね。

    SNSグループで「民主的に行うつもりはない」とか、挙げ句の果てには気に入らない人をグループから追い出して、「粛清」とかさらし者にしたり。自分たちの都合の悪い主張を封殺したりしている。香港出身の私としては科学教育を問う前にご自身の行動の是非を問うべきかと思います。ある種、怒りのようなものも感じます。

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