日本の科学教育は大丈夫か

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「ゆとり教育」の罪

 現在、さすがにその「ゆとり教育」は見直されて授業を増やす方向には向かったが、この記事が述べているような授業環境のなかで中学、高校時代を過ごした世代は、科学への関心自体が薄いまま成長し、社会に進んでいる。

 そして、そうした世代が教員になり、企業の要職に就き、あるいは教育行政を司る時代がそこまできていることを考えれば、いまさら「ゆとり教育」を見直しても、科学教育の空洞化は今後何十年にもわたって、日本の科学教育のみならず、科学行政の在り方などにも影響を与えていくと見るべきではないだろうか。

 一度低下した教育のレベルを回復することは、至難の業なのである。そしてあえて言うなら、そうした教育レベルの低下、劣化は、学校で生徒たちに「理科」を教える教員たちの体制と士気において顕著であるように思われる。その実例をひとつお話ししよう。

 数年前のことである。首都圏のある私立女子高校で、ある女子生徒が理科の科目を選択することとなった。私が高校生の頃は、理科系に進む生徒はもちろん、文科系に進む生徒であっても、高校では地学、生物、物理、化学は必修であった。

 また逆に、理科系に進む生徒であっても地理、日本史、世界史、倫理社会、政治経済などの科目も必修であった。音楽と美術だけは選択制だったが、理科も社会科も全てが必修だったから、理科系に進む生徒はもちろん、たとえ文科系の方向に進む生徒でも地学、生物、物理、化学は全員が学習するのが当たり前だった。

 それがカリキュラムの縮小、削減によって、理科系に進む生徒であっても理科は二科目だけ学べばよいことになったのが、「ゆとり教育」における日本の高校の科学教育の実態だ。

 そんななかで、将来は生物系の学部に進みたいと思っていたその女子生徒は、理科を二科目選択するにあたって、その父親にどの科目を選ぶべきか相談した。すると、父親は物理と化学を選びなさいと助言した。

 その女子生徒は生物系の学部に進もうとしていたが、それでも自身が理科系であるその父親は娘に対して、「物理学は物の考え方の基本だから」という理由で、高校ではたとえ文科系に進むのであっても物理学を学ぶべきだと言って、選択する科目を物理と化学にするよう助言したのだった。

「受験に不利」と却下

 ところが、それから数日後、女子生徒が学校に行き、教師に「私は物理と化学を勉強したいです」と言ったところ、教師は「なぜ?」と尋ねた。

 そして、「将来、生物系の学部に進むのならば物理を選ぶことはない。それよりも、受検にも有利だから生物を選んだほうがいい」と言って女子生徒の希望を「却下」し、物理を選択させなかったというのである。

 その際、女子生徒は父親が言ったこと(物理学は物の考え方の基本だから)を理由に挙げて、物理を学びたいと言ったという。しかし教員は、「物理をやるよりも生物をやったほうが受験には有利だ」と言って女子生徒の希望を聞き入れず、結局、生徒は生物と化学を学ぶことになった。

 物理を学ばせたいという親の希望も、学びたいという生徒の希望も、学校が「却下」してしまうのである。

 聞くところによれば、大学受験では暗記科目である生物を受検科目に選んだほうが点を取りやすいので、どこの高校でも、理科系に進む生徒に対して物理を選択させない方向に指導する受験校が少なくないそうだ。したがって、この女子生徒の件も全国的な傾向の一つと言えそうだが、かつては文科系の生徒であっても全員が物理を学んでいた日本の科学教育は、ここまで変質していたのである。

 今回のノーベル賞受賞ニュースのあと、科学ジャーナリストの竹内薫氏がテレビ番組で言っていたコメントによれば、昔は高校生の八割が物理を勉強していたのに、いまは三割にまで減っているという。日本人物理学者がノーベル賞を受賞する陰で、日本の科学教育、特に物理学の教育はここまで空洞化している。

 その一方で、日本の小学校、中学校、そして高校では、英語教育の強化が図られている。また、小学校でのタブレットの導入など「情報化」が進められ、行政も政治家も、こうした側面での「脱ゆとり」には熱心である。特に英語教育に関しては、小学校低学年での英語授業の開始や、中学における「英語による英語の授業」などが進められようとしている。

→ 次ページ「英語教育より大事なもの」を読む

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西部邁

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コメント

  1. 9月からASREAD投稿者として参加させていただいている評論家の小浜逸郎と申します。
    このたびの記事に全面的に賛意を表します。日頃うすうす考えていたことを明快に説いていただき、たいへん心強く思いました。
    母国語で物理用語を編み出した明治の先人たちの血のにじむような努力を、平成の教育が破壊していると思うと、許すことができない気分になります。

    ゆとり教育が推進されていた当時、これはえらいことになったと感じて、ささやかな反対の論陣を張ったのですが、現在もなおその弊害がそのまま残っているのですね。本当に嘆かわしいことです。

    この困った潮流に対して少しでも抵抗を試みようと、最近、ごく少数の仲間に呼びかけて「ガリレイの会」なるものを始めました。素人オヤジが集まって、かつて学んだ高校理科を復習していこうという試みです。おっしゃる通り、物理、特に力学は、自然がどんな姿をしているかを理解する基礎ですから、まずは力学から始めています。

    これからもよろしくご鞭撻をお願いいたします。

    • 許康人
    • 2014年 12月 02日

    ● 科学教育を問うその前に
     ご高説は良いのですが、西岡氏ご自身たちの行っていることは一体何なんでしょうか。複数のFacebookのグループを立ち上げて、他人の誹謗中傷を多々行ったりしてますよね。

    議論を回避する教室?その前に西岡氏自身、それを否定する行動を行ってますよね。

    SNSグループで「民主的に行うつもりはない」とか、挙げ句の果てには気に入らない人をグループから追い出して、「粛清」とかさらし者にしたり。自分たちの都合の悪い主張を封殺したりしている。香港出身の私としては科学教育を問う前にご自身の行動の是非を問うべきかと思います。ある種、怒りのようなものも感じます。

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