経済的自由主義はマネーへの隷従の道?

高木克俊

現在、民主主義国家である我が国日本では、様々な政治的社会的な意見が表明され、マスメディアのレベルでも、ツイッターや個人ブログなどの小規模なメディアでも日夜様々な意見を戦わせる議論が行われています。最近話題になった議論では、在特会会長の桜井誠氏と大阪市長の橋下徹氏とのヘイトスピーチと政治に関する議論などがありますが、ともかく日本では様々な意見が存在し、数多くの議論が行われているわけです。

「経済的自由主義」に対する無条件の賛成

「もはや、思想を右と左で分類するような時代は終わった!!」というのは、もはや、耳にタコが出来るほど聞き飽きた決まり文句の一つではありますが、それでもやはり未だに、「アイツは右翼だ!!」「いや、俺は保守であいつは左翼だ!!」などというレッテル貼りは横行していますし、実際に、左派的な政治信条の持ち主と、右派的、あるいは保守的な政治信条の持ち主は多くの点で意見が対立します。

護憲派の左翼と、改憲派の右翼、自虐史観的な左翼と、日本礼賛的な歴史観を持つ右翼、集団的自衛権と特定秘密保護法に反対する左翼と、その二つに賛成する右翼等々、もちろんあらゆる左派の論客や右派の論客がこのような主張に沿っているわけではありませんが、それでも非常におおまかに分類する限りにおいて、おおよそ該当するのではないでしょうか?

しかし、このように、一見様々な点で意見の対立が見られる右派陣営と左派陣営ですが、ある一点において、奇妙な意見の一致が見られます。それが何かというとズバリ「経済的自由主義」に対するほとんど無条件の賛成です。

単純に考えると、かつて社会主義や共産主義を理想としていた左派は経済的自由主義的な思想とは対立するのではないか?と思えるのですが、現実には、公共事業反対論を朝日新聞が主導するなどという現象に象徴されるように、現在では、左派陣営も相当に経済的自由主義に沿った主張を行っています。それが、最も端的に表れたのが、右派陣営左派陣営ともに、小泉純一郎の構造改革に賛成した、いわゆる小泉フィーバーという現象でしょう。日本の左派は、共産主義や社会主義という理想を掲げつつも、そのベースに、反国家主義、あるいはもっと分かりやすく反日的な思想があるために、現実にはガチガチな国家主導、政府主導の社会主義的な政策には無意識で反発する面があります。仮に、日本で共産革命などがあるとするなら、それは中国からの併合などを伴う相当に非現実的なものでしかありえないのかもしれません。

そのような思想的ベースのもとに、既成の左派は、冷戦の終結と共産主義の夢の崩壊とともに急速に、新自由主義的な構造改革の思想に近づいていきます。もちろん、右派はもともとアメリカ型の経済的自由主義思想に対する強いシンパシーを持っていたため、ここに右派と左派の奇妙な経済思想の一致が起こります。

このような経済自由主義への傾倒は、客観的な現象としてみれば、ビジネスの自由、もっとありていに言ってしまえば、資本家やビジネスマンが何の束縛も受けずに好き勝手金儲けが出来る自由、つまり拝金主義がベースにあるのですが、それを糊塗するためか、右派左派ともに、この経済的自由主義を正当化する際には、ほとんど間違いなく「自由の重要性」を金科玉条として掲げます。つまり、政府から何の束縛も受けずに経済活動を行えることが、人間の自由を約束するというワケです。

経済自由主義とは、マネーの掟への隷従である

しかし、果たして、本当に物事はそれほど単純なのでしょうか?人間の自由とは、経済的自由主義、あるいは自由主義経済によって保障されるような性質のものなのでしょうか?このような問題に関して、フェリックス マーティンというエコノミストが『21世紀の貨幣論』という本で、興味深い洞察を行っています。

(現代の貨幣観の誕生により)古いジレンマは姿を消した。貨幣がモノであり、価値が物理的な属性であるなら、貨幣と価値を倫理的に議論するのはもう何の意味も持たなくなった。貨幣の標準が不当だと批判するのは、天気が不公平だと批判するようなものになったのだ。
 しかし、それに代わって、利己的な自由の追求、契約の尊重という自由主義のうたい文句がすべてに優先することになった。マネー社会の倫理とは、自由放任主義に無条件で従うかどうか、そして、債務を返済するかどうかを意味するようになった。法の定めに従わなければならないのと同じように、マネーの掟には従わなければならなかった。倫理に反する行為とは、マネーの掟に従わないことを意味した。

この文章は、一体何を言っているのでしょうか?それは一言で言うなら、「経済自由主義とは、マネーの掟への隷従である」ということであり、別の角度から説明するなら「経済自由主義を徹底することは、即座にマネーのルール以外のあらゆる規範の放棄へとつながる」ということであると言えるでしょう。

ここには、「あらゆる規範からの自由は、単一の規則への完全な従属である」というテーゼが隠されています。ここに、様々な道徳規範からの解放こそが、真の思想的、道徳的自由の実現であると考えていた左派の陥穽があります。結果として何が起きたのかといえば、人間の自由とは、多様な思想や価値観の存在の許容し、それらの思想や価値観から自由な個人が特定の規範を主体的に選択できることが前提であったにも関わらず、あらゆる道徳や価値規範を次々に否定し放棄する中で、最後に残ったマネーの掟に個人や社会、さらには政治までもが完全に縛られることとなってしまったのです。また、最初から経済的自由主義を重視し、特定の政治的イデオロギーへの傾倒を警戒していた保守派右派陣営もまた、経済的自由を尊重する中で、本来保守が重視しなければならなかったはずの、価値規範を次々に失っていきました。結果として起きた現象はマネーの掟の絶対化であり、思想的荒涼地帯の出現です。

→ 次ページ「ミダス王の過ち」を読む

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西部邁

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コメント

    • 野比怒羅江悶
    • 2014年 11月 30日

    この記事の内容には賛成できません
    私の考え方と相反するものです。

    今後はTwitterでもお互いに絡まないようにしましょう

    さようなら

    • カルタグラ
    • 2014年 12月 23日

    カツトシブログの12月23日付けの記事に水島総(チャンネル桜社長)を「寄付金で買った高カロリーの餌を貪る豚野郎」と誹謗中傷した件について、名誉棄損で刑事告訴することをチャンネル桜に電話・メールで要請してきました。この件以外でも今までブログや生放送で言ったチャンネル桜の誹謗中傷も洗いざらい伝えました。賠償金を請求する意味でも民事訴訟も検討するべきであることも伝えました。恐らくチャンネル桜は動くと思います。そして近いうちに制裁が下ると思いますが、あなたが蒔いた種です。自業自得です。

    • 石楠花
    • 2014年 12月 23日

    古谷経衡からも恨まれてるし、WJFからも恨まれてるし、高木君はこの後どうなってしまうのでしょうか。

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