経済的自由主義はマネーへの隷従の道?
- 2014/11/19
- 経済
- 拝金主義
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ミダス王の過ち
先に紹介した『21世紀の貨幣論』では、このようなマネーによる価値の単一化という現象を、ミダス王の神話を用いて次のように見事に表現しています。
プリュギュアの王ミダスはある日、自分の営むバラ園に迷い込んだ妖精シレーノス見つけます。
ミダスはシレーノスを捕まえて、古代の知恵を聞き出そうと強く迫った。「人間にとって最もよいこととは何か」とミダス王は問う。シレーノスはミダス王を一目見て、浅はかで欲深い暴君であることを見抜いた。そこで、いかにも酔っ払いらしく、王の老い先の短さをあざ笑い、「人間にとって最も良いことは、この世に生まれてこないこと、そして次によいことはできるだけ早く死んでしまうことだ」と、哲学的な答えを返した。
ミダス王は失望し、そうするつもりなど毛頭ないと言い放つ。するとシレーノスはミダス王に言った。「それなら勝手にするがいい。私を放せば、おまえの望みを一つかなえよう。おまえがそれほど賢いのであれば、おまえがこの世で最もよいことだと考えるものを選ぶがいい!」人間にとって最もよいものとは富である。ミダス王は当然のようにそう考え、手に触れるものすべてを黄金に変える力を望んだ。
あらゆるものを黄金に変える能力を手にしてミダス王は喜びに酔いしれますが、それもつかの間、パンを食べようと手に取るとパンは硬い黄金に変わり、葡萄酒を水で割ると溶けた黄金が口に流れ込みます。そして、最愛の娘にキスをして、娘までも冷たい黄金の像に変えてしまった時、ミダス王は自らが犯した愚かな過ちを呪います。「金持ちであることは惨めでもある。富を逃れようとし、先ほどまでの願いを憎悪する」。
ミダス王はこの恐ろしい贈り物を取り上げてほしいとディオニソスに嘆願し、この呪いを解いてもらいます。
お金は社会的関係性なしでは成り立たない
この神話は、マネー社会におけるあらゆるものを共通の経済的価値観という一つの秤にかけて評価されるようになる傾向が中心的テーマになっているのだと筆者は解説します。触れるもの全てを黄金に変えるミダス王の力は、生活や自然の中にあるさまざまなものを黄金に変え、ついには愛する娘でさえも一つの無機物に変えてしまう。
自然の中には、さまざまな物質があり、伝統的社会は多様な価値観を有していますが、マネー社会はそのすべてを人工的なモノトーンに塗り替えます。マネー社会の倫理はあらゆるものを金銭的価値という尺度で評価し、見えない値札を貼り付けることで、すべての人が全てのものをまず最初に金銭的価値というたった一つの次元で考えるようになります。
京都大学の藤井聡さんは、東日本国際大学の先崎彰容さんとの対談の中で、金銭至上主義的な価値観の根底にはニヒリズムが存在すると述べていますが、これもマネーとマネーの論理そのものが内包するある種の矛盾を考えれば、納得のいく話です。
「世の中金が全てだ!!」
とは、耳にタコが出来るほどよく聞く決まり文句の一つですが、価値の象徴に過ぎないマネーそのものは、社会的な関係性の中にしか存在しえません。しかし、マネーはマネー以外のものとの社会的関係性無しには成り立ちえぬ象徴である以上、全てが金である社会においては、あらゆるものは必然的に虚無へと帰結することとなるでしょう。
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私の考え方と相反するものです。
今後はTwitterでもお互いに絡まないようにしましょう
さようなら
カツトシブログの12月23日付けの記事に水島総(チャンネル桜社長)を「寄付金で買った高カロリーの餌を貪る豚野郎」と誹謗中傷した件について、名誉棄損で刑事告訴することをチャンネル桜に電話・メールで要請してきました。この件以外でも今までブログや生放送で言ったチャンネル桜の誹謗中傷も洗いざらい伝えました。賠償金を請求する意味でも民事訴訟も検討するべきであることも伝えました。恐らくチャンネル桜は動くと思います。そして近いうちに制裁が下ると思いますが、あなたが蒔いた種です。自業自得です。
古谷経衡からも恨まれてるし、WJFからも恨まれてるし、高木君はこの後どうなってしまうのでしょうか。