『日本式自由論』第一章 奈良時代・平安時代
- 2016/11/28
- 思想, 文化, 歴史
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第一章 奈良時代・平安時代
本章では、日本の歴史において日本人が書き記した文書中の「自由」の使用例を見ていきます。まずは、奈良時代と平安時代における自由です。
第一節 六国史
奈良・平安時代に編纂された六国史には、自由の用例がいくつか見られます。日本の史書における自由は、中国の史書における自由の用例が踏まえられています。史書の自由は、王位簒奪者や反逆や専横や犯罪を表現する否定的な意味で用いられています。
日本最初の勅撰正史である『日本書紀』では、まず[綏靖天皇紀即位前紀]に、〈遂に以て諒闇(みものおもひ)の際(きは)に、威福(いきほひ)自由(ほしきまま)なり〉とあります。ここでの「自由」は、『後漢書』の[皇后紀十下閻皇后紀]にある〈兄弟、権要にして、威福自由なり〉という用法を踏まえ、勝手気ままという否定的意味を持っています。
[清寧天皇紀]においても、〈権勢自由(いきほひほしきままにして)、費用官物(おほやけものをつひやす)〉とあります。「ほしきまま」という勝手な振る舞いを非難の意味合いで用いています。
また、[孝徳紀大化二年三月]には、天皇の原則が〈天地(あめつち)の間(あひだ)に君(きみ)として万民(よろづのおほみたから)を宰(をさ)むることは、独り制(をさ)むべからず。要(かなら)ず臣(まへつきみ)の翼(たすけ)を須(もち)ゐる〉と記載されています。天皇の統治下においては、天皇の独裁が禁止され、臣下の助けを用い、民を宝とすることが原則となっているのです。『日本書紀』において既に、日本では独裁政治が禁止されているということは特筆に値します。
次は、平安初期の歴史書である『続日本紀(797)』です。[光仁天皇・宝亀八年九月の条]に、〈中納言より内臣を拝し、職封一千戸を賜りき。政を専とし、志を得て升降(しゃうかう)自由なり〉とあります。升降自由とは、官人の昇進や降格を意のままにするという共同関係における自由です。良継の官吏としての人事権の恣意擅断に対して、非難の意味で用いられています。
平安前期の歴史書である『日本後紀(840)』には、〈百司衆務、吐納自由、威福之盛、熏灼四方〉とあります。共同関係の自由です。政務を勝手に行い、権力を乱用して勢力を伸ばしたことが非難の意味で記されています。
『日本三代実録(901)』の[清和天皇紀]には、〈往来意に任せ、出入自由なり〉とあります。ここでの自由は、法令無視を意味しています。
また[清和天皇紀]には、〈諸々の余の名神をして神力自在ならしむ〉や〈庶幾(こひねが)はくは神威を自在に増し〉と「自在」の文字が見えます。禅学の中では、自由と自在をほぼ同じ用法で用いることがありますが、『日本三代実録』では「自由」と「自在」が区別されています。ここでの「自在」は、比較的穏当な肯定的な意味で、心理状態の自由について用いられています。ここでの「自」は、単なる「自」ではなく、神の助けを借りた「自」であることが述べられているため、肯定的な意味合いになっています。
[陽成天皇紀]にも「自由」があり、〈此の職、太上天皇の拝受せし所、豈に是れ朕の自由にすべけんや〉とあります。天皇にも自由にはならない領域があるというのです。その限界は、先帝陛下の御遺志だとされています。ここでは先例の遵守が、天皇の自由を制限するものとして示されています。天皇自身が、みずから「自由」ではないと宣言しているのです。自分が自由ではないという自覚が、その人を偉大ならしめえるという実例が示されているのです。
[光孝天皇紀]では、〈追捕罪人、拷掠違法、放免自由〉とあります。拷問も放免も、法を破って好き勝手に行うという共同体に関わる自由であり、当然ながら否定的な意味合いを帯びています。
以上のように、六国史の中の「自由」は、否定的な使用例が多いことが分かります。なぜなら、自由の中身が示されていなかったり、悪しきことに基づいていたりしているからです。
第二節 天平文化
天平文化における自由の用法としては、菅原道真(845~903)が白詩の『白氏文集』の影響を受け、「自由」を肯定的に使用しています。
[秋夜、宿弘文院]という題で、〈脚に信(まか)せて涼しき風に自由を得たり〉とあり、肯定的な意味で用いられています。環境との良い関わりが、精神的な自由につながっていることが分かります。
また、[舟行五事]という題で、〈虚心の者は自由なり〉とあります。煩わしいことにとらわれていない心が、精神的な自由として肯定的に用いられています。
第三節 平安仏教
仏教においても、自由が盛んに用いられています。ここでは、平安仏教を見ていきます。
最澄(767~822)の『注無量義経』には、〈自由は大唐の俗語にして、文語には云ひて自在と為す〉とあります。自由は俗語であり、文字で書き記すときは自在を使うと述べられています。自在については、〈是故に今自在力を得れば法に於いて自在にして法王と為り〉とあります。ここでの自在の「自」は、法におけるものであるため肯定的な意味を持っています。
空海(774~835)の『平安遺文・補遺』には、〈悉く天心に?(かか)り、若(もし)くは大若くは小、敢へて自由なりとせず〉とあります。自分の上にある現世の法秩序に対しては、自由だと言うことはできないとの意識が見られます。法における自分が尊いのですから、自分は法に対して自由になってはいけないのです。ここでの自由は法に対するものなので、否定的な意味を持ちます。
また、『秘密曼荼羅十住心論』には、〈経に自然と云ふは、謂はく、一類の外道の計すらく、一切の法は皆自然にして有なり〉とあります。自然とは、他より何らの力を加えられることなく、自ら然ることです。法は、それ自身で然らしむるものなのだと語られています。この「自然」は、法が自(おの)ずから然(しか)らしむるものなので肯定的な意味を持ちます。
源信(942~1017)の『往生要集』には、『西方要決釈疑通規』からの引用で、〈久しく生死に沈んで制すること自由ならず〉とあります。生死に執着して身の行いを慎むことができない、自(みずか)らに由(よ)ることができないという意味です。
『大日本国法華経験記(法華験記)』は平安朝の末頃、比叡山横川に住する一沙門が編集した法華経信仰者の霊験記です。この中で、〈仏を見法を聞くこと、心に自在を得たり〉とあります。ここでの自在は、仏の法を開いた「自」であり、肯定の意味をもっています。心が煩悩を離れた通達無礙の境地のことです。
注目すべき点として、最澄と空海の「自」の用法が挙げられます。その「自」が法における「自」ならば肯定され、法に対する「自」ならば否定されるのです。あくまでも「自」は、「自」を超えた法によって判定されていることが分かります。
第四節 仏教からの影響
日本の自由は、仏教における「自由」の用法から強い影響を受けています。仏教の教典(特に禅家)においては、「自由」や「自在」が心における悟りの境地として用いられています。日本に強い影響を与えた仏教書から、自由の用例を見ていきましょう。
隋の仏教書である『摩訶止観(594)』には、作中に「自在」の文字を見ることができます。例えば、〈かの経に広く自在の相を説けり〉とあります。具体的には、〈法に始終なく、法に通塞なし、もし法界を知れば、法界には始終なく通塞なく、豁然として大いに朗かにして無礙自在なり〉と語られています。ここでの自在は、法界を知っているものとして肯定的に用いられています。
唐の法語集である『臨済録(1120)』の[示衆]では、〈師乃ち云く、今時、仏法を学する者は、且(しばら)く真正の見解を求めんことを要す。若し真正の見解を得れば、生死に染まず、去住自由なり〉とあります。臨済は、仏教の修行者が法について真の理解に達したなら、生死に執着しないで行くも留まるも自由な境地に達すると説いています。ここでの自由は、「自」が法の真の理解に達したものなのですから、もちろん肯定的な意味を持っています。また、〈若し生死去住、脱著自由ならんと欲得すれば、?今聴法する底の人を識取せよ〉とあります。自由になろうとするなら、法の深い理解に達している人の言葉を聴くべきことが語られているのです。
宋の仏教書である『碧巌録(1125)』の[第七則・慧超念仏]には、〈一毫頭上に於いて透得して大光明を放つて七縦八横、法に於いて自在自由ならば、手に信せて拈(ねん)じ来るに不是あることなし〉とあります。ここでの自在自由も、法におけるものです。[第十六則・鏡淸?啄]においては、〈便ち以て自由自在に?啄の機を展べ、殺活の劍を用うべし〉とあります。外からの?(ついばむ)と内からの啄(たたく)の両方の機会が一致したとき伝授は成就するということで、肯定的な自由の意味が語られています。
総じて仏教では、自由や自在が悟りの境地として用いられているため、肯定的な意味で用いられていることが多いと言えます。
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