近代を超克する(7)近代を超克するということ

「近代の超克」特集ページ

 先人たちによる「近代の超克」、および「近代の終焉」という思想営為について見てきました。特に「近代の超克」については、竹内好(1910~1977)が取り上げたことで、現代においても一定の知名度があります。

竹内好『近代の超克』の検討

 竹内好は、1959年に刊行された『近代日本思想史講座』に、『近代の超克』という論文を寄稿しました。そのことによって、ほとんど忘れ去られていた「近代の超克」という試みに、再び光が当たることになりました。
 竹内の考察で重要な点は、「近代の超克」そのものが直接に知識青年を死へ追いやったのではないと述べているところです。他にも、国民は軍国主義者の命令に服従したのではなく、民族共同体の運命のために総力を挙げたのだという指摘は傾聴に値します。
 ですが、竹内が「近代の超克」を思想的には無内容だと評している点については、異議を唱えておきます。竹内は、次のような要約を記しています。

 要約すれば、「近代の超克」は思想形成の最後の試みであり、しかも失敗した試みであった。思想形成とは、総力戦の論理をつくりかえる意図を少なくとも出発点において含んでいたことを指し、失敗とは、結果としてそれが思想破壊におわったことを指す。

 私には、竹内が「近代の超克」を適切に理解し評価しているとは思えません。確かに「近代の超克」という問題が解決されたとは言えませんが、「近代」の検討および理解はかなりの水準で行われていますし、「超克」への方法および方向性は明確に示されています。
 「近代の超克」の座談会および各論文と、竹内の『近代の超克』という考察を比べるなら、後者の方が思想的によほど無内容です。
 竹内は「近代の超克」というアポリア(難問)をもう一度課題にするためには、解決不能の「日華事変」を今日からでも解決しなければならないと述べています。日華事変は別名「支那事変」とも呼ばれています。竹内が論じた時代状況ではともかく、現在では支那事変は解決不能の問題ではありません。当時の時代状況を踏まえて、しっかりと論じておくべき問題です。歴史学や社会学の知識を活用し、事実に基づいて検証すべきだという話です。
 そのことを考慮した上で、やはり竹内による「近代の超克」理解は不十分なように思えます。そのため、私は「近代の超克」に対し、竹内の『近代の超克』を飛び越えて受け継ごうと思います。「近代の超克」の座談会および各論文を参考にし、近代を超克するための考察を行いたいのです。

近代を超克するために

 近代を超克するためには、まずは「近代」とは何かということが問題となります。すなわち、「近代」の定義を明確にすることが必要なのです。その上で、その「近代」の問題点を指摘し、より良い概念を提示することで、「超克」が、つまり近代を乗り越えることが可能になります。
 座談会「近代の超克」で確認されたように、西洋近代を超克する前に、超克の対象である近代を学ばなければならないという指摘は重要です。その上で「近代」とは何かという問いに答えるためには、鈴木成高の発言から得るところが大きかったように思えます。
 さて、「近代」について、次のようにまとめてみます。

【近代とは何か】
・近代とは、ヨーロッパ的なもの(ヨーロッパによる世界支配)
・近代の出発点はフランス革命
・政治上におけるデモクラシー(民主主義、民衆政治)
・思想上におけるリベラリズム(自由主義)
・経済上におけるキャピタリズム(資本主義)
・近代の根源には、「人間の自己更新」や「人間を新たにする」という進歩主義

 当時の日本を代表する知性によって開かれた1942年の座談会「近代の超克」、それに加え、保田与重郎が1941年に既に示していた「近代の終焉」。この「近代の超克」と「近代の終焉」は、ヨーロッパ的な近代の問題点を認識し批判したということで共通し、日本によってそれに代わる価値観を提示しようとしたことでも共通しています。
 すなわち、近代の欠陥を明らかにし、それに代わる価値観を提示すること。このことによって、「近代の超克」および「近代の終焉」は可能になるというわけです。
 そのための方向性については、大きく二つにまとめられそうです。すなわち、「ヨーロッパの長い歴史に基づいた体系的な摂取と理解」および「日本文化への反省とその継承」です。この二つを軸にして、対近代の思想を組み立てることにしていきます。
 ここにおいて、近代についての現代における材料は出揃いました。具体的に論じましょう。
 一つ目は、政治上におけるデモクラシー(民主主義、民衆政治)を否定し、それに代わる価値観を提示すること。二つ目は、思想上におけるリベラリズム(自由主義)を否定し、それに代わる価値観を提示すること。三つ目は、経済上におけるキャピタリズム(資本主義)を否定し、それに代わる価値観を提示すること。最後に、西欧的な進歩主義を否定してそこに立たないこと。
 これらの目論見が首尾良く為されることによって、我々は近代の思想と訣別することになります。近代を超克するということ、それは、近代の思想との訣別を意味するのです。


※※第8回「近代を超克する(8)対デモクラシー[1] ヘロドトスとトゥキュディデス」はコチラ
※本連載の一覧はコチラをご覧ください。

西部邁

木下元文

木下元文

投稿者プロフィール

1981年生。会社員。
立命館大学 情報システム学専攻(修士課程)卒業。
日本思想とか哲学とか好きです。ジャンルを問わず論じていきます。
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