中島岳志の「我々は洋の東西を超えた『保守の普遍的構造』を見出すことができる」発言について

主義や思想における普遍的構造について

 中島は本論稿の中で、「人間は誤謬から自由になることはできず、知的にも倫理的にも完成することはありません」と述べ、「不完全性の認識」を強調して論じています。にもかかわらず、洋の東西を超えた「保守の普遍的構造」を見出すことができるとか言ってしまっているわけです。
 数学や論理学の一部において、洋の東西を超えた普遍的構造が存在するか否かを問うことは、面白いテーマだと思います。しかし、主義や思想の次元で洋の東西を超えた普遍的構造を持ち出した者に対しては、疑念を向けるのが常識ある態度になります。
 洋の東西を超えた普遍的構造を提示する自由主義と社会主義に対し、そのような安易なことを言わないのが保守主義の優位性だと思っていたのですが、過剰評価だったみたいですね。
 自由主義者は、洋の東西を超えた「自由の普遍的構造」を見出すことができると言うでしょう。社会主義者は、洋の東西を超えた「社会主義理論の普遍的構造」を見出すことができると言うでしょう。そして、保守主義者は、洋の東西を超えた「保守の普遍的構造」を見出すことができると言ってしまったのです。
 普遍的構造がいっぱい出てきてしまいましたね。どれも普遍的構造ですから、どの普遍的構造を選べば良いのか分からなくなりますよね?

不完全性を認識した普遍的構造って…

 自由主義者はおそらく、他の普遍的構造は偽物で、自由の普遍的構造こそが本物だと主張するでしょう。社会主義者も同様に、社会主義理論の構造こそが普遍的だと主張するでしょう。これらの主義に対しては、それが普遍的ではないということを暴けば反論できるわけです。
 一方、ある種の保守主義者は、自由主義や社会主義に対しては、やつらは人間の完成可能性を想定しているとか、不完全性の認識が足りていないとか言うのでしょう。その上で、洋の東西を超えた「保守の普遍的構造」を見出すことができると言うのでしょう。その理屈は、私には信仰の域に達しているようにしか思えません。そのため、私には反論不可能なしろものになります。

普遍的構造を持ち出さない思想の可能性

 ちなみに私は、保守主義者でも保守派でもありません。私は、日本の思想に基づいて考えています。ですから、保守思想家が何を言っても良いはずです。しかし、私が他の思想に対してイチャモンをつけなくてはならない理由もあるのです。
私は日本思想に基づいて考えていますが、洋の東西を超えた「日本の普遍的構造」を見出すことができるなどとは考えていないのです。それなりに高度な思想は、自身が間違えている可能性(誤謬性)を考慮せざるをえないため、自身の思想を掣肘するための他の思想を必要とするのです。ですから、自身の思想に対して、普遍的構造を見出すことができるなどと愚かなことは言えなくなるのです。
 自身の思想を掣肘するための思想は、それなりに高度なものであることが望ましいのです。なぜなら、自身の思想をより深められる可能性が高くなるからです。その観点から保守主義は、自由主義や社会主義よりも優位性があると考えていたわけです。しかし、洋の東西を超えた「保守の普遍的構造」を持ち出されては、考えを改めなければならないのかもしれません。

思想において問いを問うということ

 『表現者』55号の編集後記には、次のような記載があります。

 この国の“保守”を自称する言論はあまりに近視眼的なものとなっており、物事の本質を射抜くには総合的な知と行の活動が不可欠であろう。「表現者」は、この意味で真正保守の知行合一を実践していく所存である。

 保守派や保守主義者の方々へ、おこがましいですがアドバイスです。あなたが「信仰」ではなく「思想」をしているのでしたら、真正保守における「真正」の意味内容を問うてみるべきです。
何の真正なのか? 何にとっての真正なのか? 本当に真正なのか?
問いを問うことで、思想を深めていくことができると思うからです。

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西部邁

木下元文

木下元文

投稿者プロフィール

1981年生。会社員。
立命館大学 情報システム学専攻(修士課程)卒業。
日本思想とか哲学とか好きです。ジャンルを問わず論じていきます。
ウェブサイト「日本式論(http://nihonshiki.sakura.ne.jp/)」を運営中です。

【ASREAD連載シリーズ】
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漫画思想
ナショナリズム論

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nihonshiki@nihonshiki.sakura.ne.jp

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コメント

    • ろっく
    • 2014年 7月 28日

    確かに普遍的構造という言葉は、保守に合わない感じがします。感覚ですが。
    保守という言葉があるといくらでも理屈が建てられる、ホシュと言うと何か分かった気になる。
    しかし聖人が、かつて名もなきものに敢えて道という言葉を使い、後世、道という言葉が濫用されてしまい本来の意味が見失われたような難しさが、保守にもあるように思えます。

    • ろっくさん、コメントありがとうございます。

      興味深い意見ですね。
      「道という言葉」については、私も気になっていました。
      そこで日本における思想上の道について、
      「日本式 正道論」という題でまとめていたりします。

      http://nihonshiki.sakura.ne.jp/seido/seido.html

      長いですが(笑)
      興味があるようでしたら、ちょっと覗いてみてください。

      それでは。

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