【世代論特集】団塊世代が行った言論上の親殺し
- 2014/6/25
- 思想
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我々が紡ぐべき物語とは
「戦場で兵隊さんとして生きたことを語らずに沈黙し、高度成長を成し遂げた大正世代」と「大正世代の生き様を否定しながら、彼らの成し遂げた高度成長を謳歌した団塊世代」という構図は、確かに存在したようである。では、上の世代間で繰り広げられた相克(というよりも団塊世代の量的世論による大正世代の圧殺)と、団塊世代以降が繰り広げた戦後日本の迷走を見せつけられて、我々世代はどのように物語を紡いでいくことができるだろうか。
私はその問いへの答えを持っていない。思索中である。しかし考える為の手掛かりになるであろう文章を、ノンフィクション作家関岡英之氏の処女作「なんじ自身のために泣け」より引用させて頂く。氏は「拒否できない日本」等で、年次改革要望書に代表される米国の対日要求に関して告発したことで知られる。しかし、「帝国陸軍見果てぬ『防共回廊』」のあとがきで明らかにしているように、氏の興味の核心はアジアにある。処女作の中で、イスファハンを訪ねた際に集団礼拝で男たちが号泣しているのを目の当たりにした著者は、ガイド氏に疑問をぶつける。
(前略)その夜、私は現地人ガイド氏に、なぜ人々は何度も聞き古したはずのフセインの殉教物語に飽きることなく涙するのか問うてみた。ガイド氏はしばし沈思したあと、「これはある種のカタルシスなのだ。彼らはフセインのために泣くと同時に、彼ら自身のために泣くのだ」と答えてくれた。
そのとき私はその意味をはかりかねた。しかし何年か過ぎてから、イスラームに改宗したユダヤ系オーストリア人のジャーナリスト、レオポルド・ワイス(イスラーム名はムハンマド・アサド)の著した『メッカへの道』(原書房)という書物の中にヒントを見つけた。アサドは、イラン・シーア派の深い嘆きと悲しみに染められた宗教感情はアラブ人とはまったく異質なものであり、それはイスラームによって「古代文化遺産から切り離された喪失感」に由来する、と指摘している。とするならばイランのシーア派はなかなか一筋縄ではいかないようだ。彼らがカタルシスによって昇華しようとしていたのは、イスラームの殉教者の死だけではなく、ゾロアスターの子孫としての歴史的連続性の喪失だったのだ。そのとき私は卒然と理解した。父祖たちの歴史から切り離されているということは、大の大人が肩をふるわせて号泣するほど寄る辺ないことなのだ、ということを。西洋的近代合理主義の採用によって、父祖たちの歴史から切断された我々日本人は、いったいどんな物語に仮託して泣いたらよいのだろうか。(後略)
抽象的表現で恐縮だが、氏のいう西洋的近代合理主義の採用による歴史からの切断の帰趨を見極めることが我々の手掛かりとなるように思われる。その作業においては、歴史から切断された事実を見せつけられ、喪失を感じ呆然とするかもしれない。大正世代が経験した沈黙の強制や、団塊世代が行った(言論上の)親殺しに、目を背けたくなるかもしれない。とはいえ、その作業は自らの歴史的な繋がりを獲得する過程なのである。喪失感を感じ、きちんと涙を流してから、我々が紡ぐべき物語はようやく我々の口から語り始められるのではないだろうかと私は考えている。
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コメント
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物語を紡ぐとはどういうことでしょうか?
歴史的なつながりを獲得するということなのかなと読んでいて感じました。もっと他に意味がありますか?
ろっく様
ご意見頂戴し誠に有難うございます。
物語を紡ぐとは、まずはろっく様のご指摘の通り、歴史的なつながりを獲得することにあります。ただ、つながりを獲得した後には、我々がどのように生きるのかという問いが立ち現われるのだと考えております。注意を要するのは、昨今輻輳している懐古趣味的方法には、言葉は悪いですが、「昔は良かったね。終わり。」で済ませ、それを自らの生に活かすことがないのではないか、と感じております
。懐古趣味的言説には、悲劇的要素が少ないと考えており、それだけでは我々の生へのつながりは獲得し得ないのではないかと考えている次第です。
まだまだ試行錯誤中であります。色々とご指導賜りますと幸いです。
戦争に行って人を殺した、または親友を亡くした、部下を見殺しにした、上官を死なせてしまった、あらゆる自責の念からも他人に話したいものではないでしょうね。そもそも理解できるような話でもない。貴方なら自分の息子に人を殺した話を英雄譚のように話せますか?その裏側にある紛れもない事実である殺人を誤魔化して。息子からこう聞かれたら?【何で人を殺したの?】国の為にといいますか?息子はこう思うかもしれませんね【国の為なら人を殺していいんだ】どんな言い訳をしたところで正当化はできません。だから黙殺されたんではなく自責の念と共に封じたが、正解でしょうにやな。
まぁ仮に貴方が正当防衛にしろ殺人を犯して、それを自分の子供たちに自責の念もなく嬉々として話せるような人間ならいいですけどね。戦争に行って地獄で生き残る為に人を殺しまくって、それを何も知らない子供たちや嫁さんに帰って語るなんて狂気でしょ(笑)殴り合いでも自己嫌悪に陥りません?相手が泣いて叫んでお母さん、お母さん、お母さん助けてと許しを乞いても極限まで殴りつけたとしたら。それでも許さず最後には殺すのが戦争ですよ。貴方の世代に絶対的に足りないものは痛みでしょうね。バカな世代が戦争ができる国にしないように切に祈りますよ(笑)