古市憲寿が日本のために戦うと言うとき [後編]

日本のために戦うと言うことについて

 さて、前準備が整ったので、最後に古市さんが「日本のために戦う」と言い出す可能性について検討してみます。
ただし、正直なところ、私は古市さん個人に対してはほとんど興味がありません。私が興味を持つのは、自分と自分が大切だと思える人だけが大事な人が、それなりに勉強してそれなりに理性的に考えた場合、どのような行動にいたるのかという思想的な問題についてなのです。その一例として、彼は分かりやすいサンプルだったというだけの話です。
 ですから、ここからはそのような人物についての、私なりのシミュレーションを展開しているに過ぎません。私は古市さんではないので、彼の心の内は分かりません。私に分かるのは、他者の言動から、その人の行動原理を抽出し、それを私なりにシミュレーションしてみることだけなのです。
それでは、始めます。
 まず、彼が日本のために戦うと言い出す可能性は、大きく二つに分けられそうです。
 一つ目は、彼の感情面が変化し、個人が根拠に感じられる心境から、国家が根拠に感じられる心境に変化する場合です。この変化は、感情が多感な時期には起こりやすいといえます。また、あまり勉強をしてこなかった人が、歴史の勉強をしだすことで起こる現象だとも言えます。そのため、彼の条件に当てはめて考えてしまうと、この可能性は非常に低いと言わざるをえなくなります。
極論を言わせてもらうと、隕石に当たって死ぬ可能性を気にする人はまずいません。つまりは、そういうことです。微小な確率を気にかけることは、日常生活を不便にしてしまうからです。
 二つ目は、自分にとって都合がよいために、表面上はそのようにとりつくろうような場合です。戦後民主主義体制のような特異な状況では、個人を根拠とした道徳を公言することは、自らの得になるので言うでしょう。そして、それが不利になるような状況では言わないでしょう。実に当たり前の話です。
 国際情勢が緊迫し、日本国民に国防意識が広く共有されるような状況になったとしたら、個人を根拠としている者は、表向きは国家を根拠とした道徳を表明するようになるかもしれません。理性的に考えるなら、そうなる可能性は十分にありえます。つまり、「日本のために戦う」と言っておいて、いざとなったら逃げればよいわけです。実に合理的な行動です。

いざという時

 ここで面白い点は、いざというとき、逃げることができる者と、逃げられない者がいるということです。
 実際に戦うか逃げるかという選択肢を突きつけられたとき、国家を根拠とする者たちは連携しますが、個人を根拠とする者たちの連携は崩れてしまいます。なぜなら、自分と自分が大事だと思う人が逃げられることが大事なのであって、赤の他人が逃げられることは二の次だからです。
 では、実際に逃げられる可能性が高いのは、どのような人物なのでしょうか? 例えば、それなりの大学に所属しておくとか、本を出して箔を付けておくとか、海外経験によってコネクションを作っておくとか、そういうことをしている人物を挙げることができます。
 つまり、今の日本で個人を根拠とした道徳を説く者は、いざという時に自分たちだけは逃げられるようにしておいて、逃げられないような者を騙して名声を勝ち取っているということなのです。そして、いざという時は、逃げられない支持者を尻目に、一目散に自分たちだけ逃げればよいのです。実に理性的ですね。
 その一方、いざという時に自分は逃げられない状況にいるにも関わらず、いざとなれば逃げればよいという意見に喝采を叫ぶような人たちもいます。そこまで愚かな人たちは、そうはいないと思いたいところですが、日本の現状を考えてみると、どうもそれなりに棲息しているようなのです。実に、残念なことです。
 つまり、理性の度合いによって、戦後民主主義者は、いざという時に犠牲者(逃げられずに死んでしまう人)になったり、勝利者(まんまと逃げおおせる人)になったりするということです。

考えが変わったと言う時

 考慮しておくべき点として、「逃げる」と言っていた者が、時勢の変化によって「日本のために戦う」と言い出したとき、果たしてそれが受け入れられるのかという問題があります。
 私の推測に過ぎませんが、たいして問題にならないと思われます。なぜなら、「昔はよく知りもせずに幼稚なことを話していましたが、よくよく調べると、やっぱり日本って良い国だなっていう実感がわいてきました」と、涙ながらに語ればよいからです。それで、コロッと騙される人が続出すること請け合いです。途中で考え方が劇的に変わったという実例は、それなりに重宝されるはずです。そうして、国家を根拠としている者たちを騙しておいて、いざとなればトンズラをかませばよいだけです。
 そこで私のように、そんなに簡単に心境が変わるわけがないとか、逃げるための布石だとか言うような非情で冷酷な人間は、国家を根拠とする心優しい人たちから怒られてしまいます。ですから、安心して改心した振りをしましょう。

シミュレーション結果

 さて、古市さんが「日本のために戦う」と言う可能性があるかを検討してみました。そのシミュレーション結果から、その可能性はそれなりにあると結論します。
 もちろん、私は古市さんではないので、彼の心の内は分かりません。ですから、私が彼の言動から行動原理を抽出し、私なりにシミュレーションした結果に過ぎません。ですので、間違っている可能性もあります。
 それでも、私なりに理性的に考えてみたつもりです。反論があればお待ちしております。

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西部邁

木下元文

木下元文

投稿者プロフィール

1981年生。会社員。
立命館大学 情報システム学専攻(修士課程)卒業。
日本思想とか哲学とか好きです。ジャンルを問わず論じていきます。
ウェブサイト「日本式論(http://nihonshiki.sakura.ne.jp/)」を運営中です。

【ASREAD連載シリーズ】
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コメント

    • unk
    • 2014年 6月 02日

    反論はないが、結局のところいい答えが見つからなかったですね。
    古市が言っている合理性とは、生の対極は死であって、ただ死にたくないと言っているだけだ。
    そこに国家とか個人といった概念は存在しねんじゃねーの。

    •  unkのコメントについて。

      > 古市が言っている合理性とは、生の対極は死であって、ただ死にたくないと言っているだけだ。

       この発言の根拠を提示してください。
       問題の放送中のどこの発言から、このような結論が導かれるというのですか?

      > そこに国家とか個人といった概念は存在しねんじゃねーの。

       記事中で、古市の発言の中に「個人」や「国家」という用語があることを示した上で、
       〈ほとんどが「個人」ではなく「自分」のための論理でしかない〉と
       私の解釈を示しているでしょう。
       最低限の礼儀として、
       きちんと内容を読んで理解してから批判してほしいものです。

    • unk
    • 2014年 6月 03日

    申し訳けありません。大変失礼いたしました。個人ではなく自分でした。

    わたくしは人間の感じる恐怖とは死を源泉にしていると思っています。

    普段感じている恐怖の根源を深く追っていくと死につながります。

    ですから、古市が逃げるといったのは怖いからだと思うのです。その点で合理的だと思ったのです。

    国家のために個人が犠牲になるのは成熟した社会ではないと古市は言っています。

    その発言の根拠は何なのかまったくわかりませんが、国家の元に生まれ、その利益を十分に享受して

    おきながら、その一方では簡単に個人よりは重要でないと言い切る。

    輪廻転生の世界で言えば、古市はつぎに鳩かモヤシかタンポポみたいなものとして生まれ変わるでしょう。

    彼の内心はしりません。彼の言動、その人の行動原理を抽出し、わたくしなりにシミュレーションしました。

    • yuyu
    • 2016年 1月 05日

    最近テレビに出ている古市さんを見てここ2.3日興味を持っています。
    そこでネットで検索してたどり着いて読ませていただきました

    まず戦争になれば逃げるといった古市さんの発言は建前で物を言うばかり世間の中で、正直すぎて個人的には面白く感じました。
    しかし理性的に考えると木下さんが言うとうりなシナリオが安易に描けてしまい残念に思います。

    ここからは僕の意見ですが、第二次世界大戦時に軍部が暴走し、それにメディアが乗っかり民衆は日本旗を
    掲げイケイケドンドンな風潮がありました。それは日本人が持つ協調性のいい部分が悪い方向へと流れて
    しまった結果だとおもいます。大衆が右を向いたから自分も右ではなく、少数ながら左を向く者がいてもよろしいのではないでしょうか。
    第二次世界大戦時も戦争を反対していた人は少なからずいると思います。しかしそれは非国民として反道徳心=悪として大衆は拒絶しました。

    僕が言いたいのは、逃げるという選択を選ぶ者と戦うという選択を選ぶ者どちらか一方が正しいとは言い切れないと
    言うことです。

    例えば国を守るために戦うといった1人の人間の横で「俺は逃げる」という人間をどう思うかでまた1つ見方が変わると思います。
    ある人はズルいと考え、ある人はかっこ悪いと考え、ある人はかわいそうと思う人がいるでしょう。
    前者2つに関しては大半の考えでしょう。しかしかわいそうと思う気持ちが大事だと思います。

    戦争とは美化してはいけないものですが、守る戦いならば自分もしくは身近な人を飛び越え、時間の中で
    触れ合った人やもの、それらを壊すようなことがあれば戦うのが幸せな人でしょう。
    そこで逃げる人とは、自国にいながらその幸せを感じることが出来なかった不幸な人となります。

    日本は幸せな国となった反面死ぬ為の大義名分がない中、何かの為に命を掛けれるというのは幸せなのかもと考えます。

    木下さんの見解面白かったです

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