常識論における悪意なき害悪

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 「常識」という日本語は、明治時代に英語のコモン・センス(common sense)の訳語として定着しました。今回は、常識について少し考えてみます。

常識の定義

 まずは、辞書の定義から。
 『岩波 哲学・思想辞典』では、常識の基本的な意味として、「普通の社会人がもっているべき知識、ないし理解力や判断力」という定義が出てきます。この定義を軸として、称賛語の場合は「すぐれた見解」という意味が、非難語の場合は「通俗的で陳腐な考え」という意味が示されることになります。
 確かに、「常識」という言葉は多義的です。「常識のある若者だ」とか、「あいつは常識に縛られている」という言い方から(前者が称賛語で後者が非難語だと)推測できるように、その賛否は状況に依存しています。

常識を巡る闘い

 常識とは、誰もが普通に持っているべきものだと考えることができます。それは、裏を返せば、常識を知らない者がいるということを意味しています。
 例えば一般論として、きちんと挨拶ができることは常識のある行動だと認められるでしょう。しかし一般的に、きちんと挨拶ができない人は存在します。そのようなとき、常識的な人と、常識的ではない人の区別が生まれることになります。ここには常識をめぐる闘いが、明示的であれ暗黙的であれ、展開されているのだと考えることが可能です。
 常識を称賛語として用いる者は、常識側に居る者であり、常識を擁護する者です。それに対し、常識を非難語として用いる者は、常識の外に居る者であり、既存の常識を揺さぶる者です。
 ただし、この対立を「常識vs反常識」の闘いと単純にとらえてはならないでしょう。この対立は、「従来の常識を守ろうとする者vs新しい常識を提示する者」の闘いだと見なすことができそうなのです。つまり、ここには常識を巡る闘いがあるのですが、それは常識の内容の正統性を主張する覇権争いだと考えることができるのです。

常識と主義

 常識の内容の正統性を主張すること、それは、主義として語られることになります。
 何らかの主義者は、自身の主義こそが常識であるべきだと主張します。ですから自由主義者は自由こそが、マルクス主義者はマルクス理論こそが、フェミニストはフェミニズムこそが、世の中で受け入れられるべき常識だと主張していることになります。
 各々の主義者たちの争いは、共同体における多数派工作として展開されています。多数派としての地位を確立したとき、その主義は「常識」としての地位を確立したことになるのです。
 この多数派工作は、単純に民主主義(民衆政治)のことだと勘違いしてはならないでしょう。なぜなら、賢明にもアリストテレスが『政治学』に書き残しているとおり、「寡頭制においても貴族制においても民主制においても、国民権に与かる人々のうち多数の部分によって議決されたことが何によらず至高」だと考えることができるからです。
 つまり、多数派の意見が尊重されるべきか否かという答えそのものが、多数派の了解によって成り立っているということです。アリストテレスは、それを議決と述べていますが、それは暗黙の了解であっても、文化的な風習であっても、仮想的な契約論の肯定でも妥当するわけです。そのような構造の上で、数多の主義者たちは、自身の主義に同調してくれるように他者へ語りかけているのです。
 ちなみに現代の日本では、近代的な価値観が多数派工作に成功している状況です。その内実の検討については、『近代を超克する』という論考がありますので、興味のある方はそちらを参照してください。

常識の不確定性

 常識の内容は、時代によって変化し、社会によって異なります。つまり、常識の内容は確定的なものではないということです。この常識の不確定性は、絶対的な神の言葉を信じる宗教家や普遍主義者からは望ましいものではないでしょう。
 常識の不確定性からは、常識の複数性という論点が生まれます。常識の複数性は、主義の複数性ともつながっています。この観点から、国家の必要性の議論が展開できるでしょう。その議論に興味のある方は、『ナショナリズム論』を参照してください。

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西部邁

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