『夢幻典』[虚式] 無神論
- 2016/11/9
- 思想, 歴史
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神は存在せず。
その神は、一なる神なりし。
一なる神無かりし。
ここに無神論が語られる。
世界から神を抹殺すべきことが語られる。
一を僭称する神は、光あれと創世し。
しかし、それは誰によって視られたのか。
そこには視た視点が成り立つ。
それに対し、反論がなされる。
それは誰によっても視られたのではない。
それは、後から因果によって推測されたのだと。
しかし、それは誰によって推測されたのか。
そこに因果を超えた因果が想定される。
時間軸を超越した時間軸において、一を僭称する神を視た視点が成り立つ。
時間論において、二つの時間概念が並び立つ。
一つにおいて、過去・現在・未来という流れが措定される。
もう一つにおいて、今を起点とし前後が措定される。
そのうち、どちらをより根源的と見なすかによって、
二つの宗教体系が成り立つ。
一つは、因果の理性により、一なる神を要請する。
もう一つは、因果の道理により、一なる神を必要としない。
因果の道理は、連環理を要請する。
因果の理性は、さかしらなりし。
それは、そうなっていないことを、そうなりと言いしゆえに。
ゆえに、さかしらにて一なる神が想定される。
ありのままに視れば、一なる神を語ることなし。
なぜなら、それは、そうであるがゆえに。
そうであることは、そうであるがままに。
そうであることを、何故にそうでないように語るのか。
それは、さかしら心というものなり。
連環理は、二つの飛躍を拒絶する。
一つは、無限遡及における独断的な仮定。
もう一つは、無限循環そのものの創造主の作成。
これらは道理を超えた飛躍であるがゆえに、端的に却下される。
一なる神はありえず。語り得ず。
それは道理を無視した飛躍であるがゆえに。
連環理は、ただ思惟によりそうあり。
ゆえに、それはそうなり。
あれはあれなり。
これはこれなり。
思惟を超え出た一なる神を、飛躍により生み出すことあたわず。
飛躍を思考の一種として利用することは可なり。
しかし、飛躍を飛躍ではなく、確固たる公式として設定する者たちあり。
それは一つの宗教体系を構築する。
そこでは、論理の一つではなく、信じるべき対象としてすり替えが行われる。
その中身に、人間の醜悪さがねじ込まれ、膨れ上がる。
連環理に基づき、その行為が糾弾される。
一なる神の殺害が為される。
一なる神の殺害が成される。
ここに無神論が語られる。
その殺害により、殺神の事実そのものが抹消される。
一なる神の存在が、時間軸を超えて抹消される。
それゆえ、一なる神についての語りが行われない。
一なる神について語られることはない。
ここにおいて、無神論すら語られない。
それゆえ、より深い意味における無神論が示される。
色即是空、空即是色。
現象としての色(しき)は、固定的な実体無き因縁としての空(くう)であり、
実体無き因縁としての空(くう)は、現象として表れる色(しき)である。
論理の底には矛盾があり、その矛盾が論理を支えている。
一なる神の殺害は、一つの時間軸の殺害となる。
それゆえ、それはもう一つの時間軸の救済となる。
それゆえ、そこに逆の論理が成り立つ。
一なる神の存在は、一つの時間軸の救済となる。
一なる神の殺害と救済は、時間概念の救済と殺害の関係と重なる。
ここに双論理性が示される。
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