ナショナリズム論(4) 対ベネディクト・アンダーソン

どのように主権的?

 アンダーソンが国民を近代的現象だと見なしているのは、国民が単に主権的な共同体であるというだけではなく、特定のあり方で主権的であるからです。〈国民は主権的なものとして想像される。なぜなら、この国民の概念は、啓蒙主義と革命が神授のヒエラルキー的王朝秩序の正当性を破壊した時代に生まれたからである〉というわけです。つまり、王朝秩序による主権下では、国民が存在しなくなるということです。近代以前の例としては、宗教共同体や王国が挙げられています。王国の場合で言うと、〈王権の正当性は神に由来し、住民に由来するのではない。住民は、とどのつまり臣民であって、市民ではない〉ということになるわけです。

 近代的概念にあっては、国家主権は、法的に区分された領土内の各平方センチメートルに、くまなく、平たく、均等に作用する。しかし、国家が中心によって定義された旧い想像世界にあっては、境界はすけすけで不明瞭であり、主権は周辺にいくほどあせていって境界領域では相互に浸透しあっていた。

 もう少し詳しく見ていくと、アンダーソンは〈古来の三つの基本的文化概念が公理として人々の精神を支配することができなくなったそのとき〉に、国民を想像するという可能性が成立したと言うのです。その三つの基本的文化概念とは、以下の通りです。

  • 特定の手写本(聖典)語だけが、まさに真理の不可分の一部であるということによって、存在論的真理に近づく特権的手段を提供するという観念
  • 社会が、高くそびえたつ中央――他の人間から隔絶した存在として、なんらかの宇宙論的(神的)摂理によって支配する王――の下で、そのまわりに、自然に組織されているという信仰
  • 宇宙論と歴史とは区別不能であり、世界と人の起源は本質的に同一であるとの時間観念

 簡単に述べてしまうと、主権的な共同体だとしても、その主権的な根拠を宗教的な権威に負っている場合は、国民とは認めないということです。臣民を国民とは認めないが、市民なら国民と認めてあげるよということです。

出版資本主義

 国民が近代的現象だという根拠の一つには、アンダーソンの言う出版資本主義があります。

 出版資本主義(プリント・キャピタリズム)こそ、ますます多くの人々が、まったく新しいやり方で、みずからについて考え、かつ自己と他者を関係づけることを可能にしたのである。

 出版資本主義は、印刷技術と資本主義から成り立っています。この出版資本主義によって、近代国民が誕生したというのです。

 我々は次のように結論をまとめることができよう。人間の言語的多様性の宿命性、ここに資本主義と印刷技術が収斂することにより、新しい形の想像の共同体の可能性が創出された。これが、その基本的形態において、近代国民登場の舞台を準備した。

 確かに資本主義の発展と印刷技術の革新は、情報伝達の届く範囲を拡大させ、その伝達速度も高めることになりました。そのことによる作用が、人類に及ぼした影響も多大なものがあるでしょう。

アンダーソン説の考察

 出版資本主義などの近代の影響を考慮する際に、二つの考え方があるように思えます。一つ目は、アンダーソンが言うように、近代になって新しい国民という概念が生まれたという見方です。二つ目は、近代化の影響で、国民(の内実)に変化が生まれた(国民に新たなバリエーションが追加された)という見方です。
 私は、後者の見方を採用すべきだと考えています。なぜなら、前者の考え方を厳密に適用してしまうと、現代世界においても、国民が存在するといえる国家が限られてしまうからです。
 例えば日本の場合、大臣は国会の指名に基づいて天皇により任命されます。そのため、日本人は臣民の側面と市民の側面が共存しているわけです。それは、近代以前も同じであり、臣民一辺倒だったと見なすのはほぼ無理でしょう。その割合に変化はあるにしても、臣民という側面も市民としての側面もあったわけです。そして、近代以前も近代以後も、国家の範囲に変動があったにせよ、国民が存在したとする方が適切だと思われるのです。
 ある国家における人民の均等度合いについても、厳密には完全に水平化された国民など存在しないわけです。ですから、近代の新しい現象と言うためには、均等度合いに任意の境界線を設け、その境界を超えたから新しいと恣意的に言うしかないわけです。そのような不自然な操作をするよりも、人類史には様々な国家があり、臣民性や市民性などの各要素の割合から、さまざまな種類の国民が存在すると考えるべきだと思うのです。

→ 次の記事を読む: ナショナリズム論(5) 対アントニー・D・スミス

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西部邁

木下元文

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投稿者プロフィール

1981年生。会社員。
立命館大学 情報システム学専攻(修士課程)卒業。
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