三つの哲学
世の中の考え方の大本を知るには、野田又夫さんの『哲学の三つの伝統 他十二篇』が丁寧に書かれていて、分かりやすく参考になるかと思われます。この著作では、哲学には〈三つの源から流れ出る三つの流れ〉があるとして、〈ギリシア古代哲学、インド古代哲学、中国古代哲学〉が挙げられています。多少大げさな表現ですが、この三つの哲学の中には〈人間の思想のさまざまな型が出そろっていた〉と語られています。
日本における三つの哲学
日本の思想には、様々な考え方が含まれています。その中には、三つの哲学の型も取り入れられてきた歴史があります。
日本は古来より、諸子百家と呼ばれる中国古代哲学を受け入れて噛み砕いて継承してきました。その中国を介して、インド古代の有力な哲学である仏教も早くから取り入れてきました。日本における思想は、様々な思想や哲学を多様な観点から比較し、日本人に合うように取り入れてきました。良いところと悪いところを自分なりに解釈し、日本に馴染むように試行錯誤してきたのです。日本古来の神道を軸に、儒教も仏教も共存していくことが可能だったのです。江戸時代には、オランダを通じてヨーロッパの学問を受け入れており、それは蘭学と呼ばれていました。明治以後は、西洋の哲学や科学技術を積極的に学ぶことになりました。
その結果、素晴らしいことに現在の日本では、これら三つの哲学に関する書物を日本語で読むことができるのです。日本に居ながら、日本語によって、人類の知性における大きな遺産に簡単にアクセスすることができるのです。日本人の翻訳技術万歳です。
もちろん、日本はこれからも世界中の学問を取り入れ、日本なりの仕方で役立てて行くことでしょう。
思想と哲学について
野田さんは、哲学について次のように述べています。
これら三つの源泉のどれか一つに汲めばそれで人間は人生についての理性的解釈をもつことができた、といってよい。例えば西洋人は、中国の諸子百家を知らずとも、ギリシア哲学だけで世界観、人生観を形成できたし、日本人は中国とインドの古代思想に接するだけで、ギリシア哲学を知らなくても、哲学をもちえたのである。
私もこの考え方に与したいと思います。つまり、中江兆民が『一年有半』で述べたように、「わが日本、古より今にいたるまで哲学なし」という見解には立たない、ということです。
哲学については、思想とは別物だと見なす意見があります。例えば、『事典哲学の木』の哲学の項目を参照すると、「哲学は欠けている何かを補おうとし、思想は存在しているものに何かを付け加えようとする」と説明されています。私自身は、このような用語の分類には疑義を呈しておきます。
思考には、欠けている何かを補おうとするときと、何かを付け加えようとするときがあるのは確かです。しかし、それらを思想と哲学に場合分けして定義することはかなり恣意的であり、歴史的な使用例からも無理があると考えるからです。仮にこの定義で考えたとしても、日本に哲学がなかったと見なすのは困難でしょう。
日本思想の二つの特徴
野田さんは日本思想の二つの特徴として、〈新旧の思想の共存〉および〈感情的洗練と実際的単純化〉を挙げています。
第一の特徴において日本人は、新しい思想に興味を持ちながらも、古い思想を保存し、古い思想から新しい思想を解釈するという営みを続けてきたのです。
第二の特徴の〈実際的単純化〉の部分については、少しだけ補足しておきます。確かに外国からの思想を輸入するに際して、単純化と呼ばれても致し方ないような切り取り方があったことは事実です。しかし、別様に見れば、それは実際的複雑化の過程でもあったのです。感情的洗練において、実際に単純化および複雑化を繰り返してきたのが、日本思想だと言えると思うのです。例えば仏教の導入に顕著ですが、日本の仏教は、仏陀本来の教えとはかなり異なっていますし、中国仏教とも違う様相を見せています。
野田さんはこの二つの特徴について、次のように述べています。
この二つの特徴は、それぞれ、善い点と悪い点とを具えています。けれども、思想の歴史だけについていえば、現在の私は、その善い点だけを見たいという気持になっていると申し上げずにはおれません。故国を離れると故国びいきになるものであります。それで私は日本の思想史をどちらかといえば明るくバラ色に描くことをあえてすることになると思います。
私は故国を離れているわけではありませんが、この見解に同意したいと思います。特に戦後日本において、日本思想は不当な評価を受けてきたように思えます。私が日本思想の中に見出したものの中には、すばらしい考え方があふれていました。その日本の思想において、日本人としての生き方が(それゆえ死に方が)仄見えてくるはずだと考えているのです。
少なくとも、そのような想定において、日々を生きていきたいのです。それは、〈合理的な思想を採りながら非合理的な感情の最大限を保存する〉ということでもあるのです。
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