マネタリズムを検証する ー 失われた20年の正体(その8)

通常の経済活動の資金決済に使われるのは、私たちが民間金融機関に保有する預金も含めた「マネーストック」の方ですが、こちらはマネタリーベースの何倍もの残高です(大恐慌当時の米国では約4~7倍、少し古いですが、2011年末の日本では約9倍)。
なぜ、現金として常に引き出し可能なはずの、家計や企業が保有する市中預金がマネタリーベースの何倍も存在するのか。それは(中央銀行ではなく)民間金融機関が貸出や有価証券投資という形で家計や企業に資金供給した(いわゆる「信用創造」)結果であり、経済活動が全て現金決済で行われる訳ではない以上、マネタリーベースをはるかに超える信用創造が可能ということなのです(図1参照)。

【図1:日本の経済部門別バランスシート(2011年末)】

日本の経済部門別バランスシート

実は主流派経済学では、マネーストックは外生変数、すなわち中央銀行が供給量をコントロールできることが仮定、または暗黙の前提とされていて(特に新古典派経済学では「貨幣量の変動に意思決定が影響されない合理的経済人」を前提としているので、「そもそも重要視していない」というのが正確な表現かもしれません)、「大収縮」のフリードマンも、「マネタリーベースに対するマネーストックの倍率(いわゆる『信用乗数』)が不変、または(銀行危機が緩和された結果として)上昇する」という前提で、「もしマネタリーベースを現実よりもXX億ドル増やしていたら、民間銀行の資金供給能力が増大し、マネーストックもYY億ドル増えていたはずだ」という議論を展開しています。

しかしながら、少なくともマネーストックが中央銀行によって直接コントロールできるものではないことは、これまでの説明でご理解いただけると思いますし、上記フリードマンの議論は、以下の点で疑問です。

まず表1にある通り、「大収縮」の期間のマネタリーベースは増加しています。しかも、市中預金残高が大幅に減少しているにもかかわらず、その引き出しの備えたる「(民間銀行がFRBに保有する)準備預金残高」も若干増加しています(あくまで年次データですが、私の手元にある「アメリカ歴史統計」から拾った数字でも、ほぼ同時期の1930年末から1932年末にかけて、準備預金残高は若干ですが増加しています)。
仮にマネタリーベースが増えていても、「準備預金残高は減少していて、取り付け騒ぎで現金引出が大幅に増えた結果としてトータルでプラスになったに過ぎない」というのであれば、「銀行の資金繰りを窮屈にして経済の足を引っ張った」という批判も成り立ちうるかもしれませんが、従前以上の準備預金を供給している現実の中で、FRBにマネーストック減少の責任を負わせるのは不当でしょう。

さらに「A History of Interest Rates(金利の歴史)」という本によると、この時期の米国の銀行による貸出金利全体は、イギリスの金本位制離脱に対応した公定歩合引き上げがあった一時期を除き、一貫して低下しています。つまり、貸出等によって生み出されるマネーストックが減少したのは、貸し手側の資金供給能力に問題があったというよりも(供給側の問題だとしたら、フリードマンが示した「低格付け債」という一部の事例のように、全体の金利はむしろ上がっていたはず)、むしろ借り手側の需要減退によるものだった(従って、「マネーストック減少⇒名目GDP縮小」というのも、むしろ因果関係が逆)、と考えるべきです。
従って、仮にフリードマンの言うとおりにFRBが行動していれば、(フリードマンの予想とは逆に)現実よりももっと信用乗数が低下していたことでしょう(ちょうど現代の日本のように)。

所詮は「結論ありき」のマネタリズム

結局、フリードマンの議論は「マネーストックは中央銀行がコントロール可能な外生変数」という、ある意味「結論ありき」のもとで寄せ集めたものに過ぎない、と言っても過言ではなさそうです(他にも、「そもそも財政政策無効論ありき」という欠陥もあるのですが、これについては次回触れたいと思います)。昨今の日本でも、「マネーストックが伸びていない(いなかった)のが、日銀の金融緩和が不十分な(だった)何よりの証拠です」と発言してはばからない経済学者やエコノミストが時折見られますが、大概は同じ穴のムジナでしょう。
これに対して、経済学派としては非主流であるポスト・ケインジアンの一部には、「マネーストックは、主に借り手側の需要によって増減するもの」という「内生的貨幣供給論」が存在します。そのうちの一人であり、「バランスシート不況説の問題点」でも紹介したハイマン・ミンスキーの論文からの引用で、本稿を締めくくりたいと思います。

両派(筆者注:マネタリストと「ポスト」ではないケインジアンのこと)において、金融の構造は単純化され、「貨幣(筆者注:マネーストックのこと)」がその全てを表現するものとされている。マネタリストは価格を説明する要因として貨幣を使い、ケインジアンは名目総需要額に影響を及ぼすものとして貨幣を用いるのである。しかし、これら両派のいずれの議論においても貨幣は外部の変数(筆者注:「中央銀行が決定するもの」と同義)であって、現に存在する貨幣量が経済の動きによって内生的に決定されるものとはなっていない。
われわれの経済では、貨幣は銀行が資産を取得する時「創造」され、銀行から借りた主体がその支払債務を履行する時に「破壊」される。(中略)われわれの経済の成果は負債の発行者がその債務を現時点で首尾よく履行し得ているかどうかという事実と、今日の借り手がその債務を将来履行し得るのかどうかについての現在の予想とに密接に関連している。
(ハイマン・ミンスキー「投資と金融」第2章より)

(参考文献)
ミルトン・フリードマン&アンナ・シュウォーツ「大収縮1929-1933 「米国金融史」第7章」(久保恵美子訳、日経BP社、2009年)
ジョン・メイナード・ケインズ「雇用、利子、お金の一般理論」(山形浩生訳、講談社学術文庫、2012年)
アメリカ商務省「アメリカ歴史統計」(東洋書林、1999年)
ハイマン・ミンスキー「投資と金融」(日本経済評論社、1988年)
Milton Friedman and Anna Schwartz: “A Monetary History of the United States, 1867-1960” Princeton University Press (1971).
Sidney Homer and Richard Sylla: “A History of Interest Rates,” Willey (2005).

→ 次の記事を読む: ケインジアンによる財政政策無効論? ー 失われた20年の正体(その9)

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西部邁

島倉原

島倉原評論家

投稿者プロフィール

東京大学法学部卒業。会社勤めのかたわら、景気循環学会や「日本経済復活の会」に所属。ブログ「経済とは経世済民なり」やメルマガ「三橋貴明の『新』日本経済新聞」執筆のほか、インターネット動画「チャンネルAjer」に出演し、日本の「失われた20年」の原因が緊縮財政にあることを、経済理論および統計データに基づき解説している。

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コメント

    • smd
    • 2014年 1月 24日

    > 「マネタリーベースに対するマネーストックの倍率(いわゆる『信用乗数』)が不変、または(銀行危機が緩和された結果として)上昇する」という前提で、「もしマネタリーベースを現実よりもXX億ドル増やしていたら、民間銀行の資金供給能力が増大し、マネーストックもYY億ドル増えていたはずだ」という議論を展開しています。

    はい、この時点でちゃんと読んでないことが発覚。フリードマンは信用乗数が不変だなんて言ってないどころか、金融収縮期に低下することを述べている。問題は信用乗数が低下することではなく、マネタリーベースを「完全にキャンセルアウト」するように低下するか否か。そして、そこまで厳密な対応性は存在しないと観察結果から読み取ったわけだ。

    • 言葉足らずだったかもしれませんが、
      ここで言う「不変」とは「低下した現実の信用乗数に対して不変」という意味です。
      つまり、表1の1933年1月の数字に即して言えば、「この時点でマネタリーベースを現実の2倍の164億ドルにしていれば、マネーストックは少なくとも現実の2倍の688億ドルにはなったし、実際には信用収縮が改善してそれ以上になっただろう(つまり、信用乗数は現実の4.20倍よりも大きくなっただろう)」というのが、フリードマンの議論だと理解しています(「大収縮」の「第6節 代替策」参照)。
      これに対して、「マネタリーベースを拡大するだけでは資金需要サイドの問題は解決しないため、マネーストックはフリードマンが言うほどは(恐らくほとんど)増えず、信用乗数は4.20倍よりよりもさらに低下していたはずである」というのが本稿の議論です。

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