『日本式正道論』第一章 道の場所

第二項 古今和歌集

 『古今和歌集』は、醍醐天皇の命による二十巻におよぶ勅撰和歌集です。成立は905年(延喜5年)のほか諸説あり未詳です。国風文化の興隆を象徴する成果であり、平安王朝の貴族の美意識が反映されています。歌数は約1100首、作者は127人以上で時代は100年以上にわたっています。
 古今和歌集の特徴は、「たをやめぶり」と言われます。「たをやめぶり」とは、賀茂真淵の『にひまなび』に、〈古今和歌集の歌はもっぱら手弱女(たをやめ)のすがた也〉とあるように、繊細優美で女性的な歌風を意味しています。万葉集の「ますらおぶり」と対比される概念です。
 古今和歌集にも、無常観を基にした歌がいくつもあります。

 空蝉の世にもにたるか花ざくらさくと見しまにかつちりにけり〔巻第二・七三〕
 ねても見ゆねでも見えけりおほかたは空蝉の世ぞ夢には有りける〔巻第十六・八三三〕
 夢とこそいふべかりけれ世の中にうつつある物と思ひけるかな〔巻第十六・八三四〕
 もみぢばを風にまかせて見るよりもはかなき物はいのちなりけり〔巻第十六・八五九〕
 世の中はなにかつねなるあすかがはきのふのふちぞけふはせになる〔巻第十八・九三三〕
 世の中は夢かうつつかうつつとも夢ともしらず有りてなければ〔巻第十八・九四二〕

 このように、古今和歌集には無常をうたった歌がたくさんあります。無常を詠うことが和歌の特質だとすら思えてきます。
 『古今和歌集』の〔真名序(撰集論)〕では、〈仁、秋津洲の外まで流れ、恵、筑波山の陰より茂し〉と語られています。天皇の仁徳は国外まで及び、その恩恵は筑波山の木陰の茂りよりも深いというのです。文章からは平穏な太平の雰囲気が感じられます。それに続いて、〈淵変りて瀬と為るの声、寂々として口を閇し、砂長けて巌と為るの頌、洋々として耳に満つ〉と語られています。深い淵が浅瀬に変わってしまうような無常を感じさせる声は、ひっそりと静まりかえり、小さな砂が成長して大きな岩石となるようなめでたいことを祝う声ばかりが、いたる所で絶えず耳に聞こえて来るという状況です。安らかな気持ちになれる描写です。この状況において、〈既に絶えたるの風を継がむと思ひ、久しく廃れたるの道を興さむと欲ふ〉と続くのです。陛下は、すでに絶えてしまった和歌撰集の風習を継承しようと思われ、久しく廃れていた歌の道を再興なさろうとされたわけです。そして歌集が編纂され、その中には無常の歌も数多く詠われているのです。和歌の道とは、無常を詠うということでもあるのです。
 このことには注目すべきです。世の中が混乱し、栄えしものが滅びる中で無常を詠うというのは分かります。実際に日本史の中では、窮まった状況で無常を詠って心を慰めるという実例がたくさんあります。ですが、日本人は太平の世でも無常を感じ、無常を詠うのです。桜が散る情景を見ては、無常を感じるのです。あたかも、終わりを想うことなく、美しさがありえないかのように。
 例えば『北条重時家訓』には、〈たのしきを見ても、わびしきを見ても、無常の心を観ずべし。それについて、因果の理を思ふべし。生死無常を観ずべし〉とあります。日本人は、楽しいときも、侘しいときも、無常を観ずるのです。
 そして、この無常観は、潔さに繋がります。美しさとは、究極的には、死や滅びの間際の潔さにあるのです。日本においては、無常を詠うことが和歌の道を求めることに連なり、美しさに繋がるのです。

第三項 新古今和歌集

 『新古今和歌集』は、後鳥羽院の命による、二十巻におよぶ第八番目の勅撰和歌集です。1205年(元久2年)に成立後、院の意向により改訂が続けられました。『古今和歌集』を継承しようとの自負が伺えます。歌数はすべて短歌で1978首、武士の支配が強まった時代の王朝貴族の危機感が背景にあると言われています。
 〔仮名序〕には、〈大和歌は、昔天地開けはじめて、人のしわざいまだ定まらざりし時、葦原中国の言の葉として、稲田姫素鵝の里よりぞ伝はれりける〉とあります。和歌は、天と地が始まり、まだ人間の営みが定まらないくらいの時期から、日本の言葉として、神々の住む里から伝わったものと語られています。続いて、〈しかありしよりこの方、その道盛りに興り、その流れ今に絶ゆることなくして、色に耽り心を述ぶるなかだちとし、世を治め民を和らぐる道とせり〉と語られています。言葉が神々より伝わって以来、歌の道は盛んになり、その伝統は現在に至るまで絶えることなく、個人的には恋愛において心情を表現する形となり、社会的には世の中を治め国民を安心させる道となったと記されています。
 このことから、日本という国は、歌を謡うことによって安定・繁栄する国だということがわかります。特に、和歌の道が〈世を治め民を和らぐる道〉だという点は重要です。この〈世を治め民を和らぐる道〉において、新古今和歌集でも無常が詠われるのです。〔巻第八・八三一〕や〔巻第八・八三九〕などは、「無常の心を」という題名です。〈世を治め民を和らぐる道〉ならば、無常の歌など詠わない方が良いと思われるかもしれませんが、それは浅はかな考えだと思われます。〈世を治め民を和らぐる道〉だからこそ、無常の歌が詠われる必要があるのです。無常ゆえの諦観、無常ゆえの覚悟、それこそが必要なのです。次に示す無常の歌を詠んでみてください。

 はかなさをほかにもいはじ桜花咲きては散りぬあはれ世の中〔巻第二・一四一〕
 世の中は見しも聞きしもはなかなくてむなしき空のけぶりなりけり〔巻第八・八三〇〕
 いつ歎きいつ思ふべきことなればのちの世知らで人の過ぐらむ〔巻第八・八三一〕
 つくづくと思へばかなしいつまでか人のあはれをよそに聞くべき〔巻第八・八三九〕
 暮れぬまの身をば思はで人の世のあはれを知るぞかつははかなき〔巻第八・八五六〕
 思へども定めなき世のはかなさにいつを待てともえこそ頼めね〔巻第九・八七九〕
 夕暮れに命かけたるかげろふのありやあらずや問ふもはかなし〔巻第十三・一一九五〕
 過ぎにける世々の契りも忘られていとふ憂き身のはてぞはかなき〔巻第十五・一三九三〕
 心にもまかせざりける命もて頼めもおかじ常ならぬ世を〔巻第十五・一四二三〕
 世の中を思へばなげて散る花のわが身をさてもいづちかもせむ〔巻第十六・一四七一〕

 ここには、圧倒的な美しさがあります。『新古今和歌集』においても、このように美しい無常の歌があり、道を求める歌があります。詠われる「道」も様々です。〔巻第七・七三九〕では〈わが道〉として、わたしの奉ずる歌の道が、〔巻第七・七五三〕では正しい政道として〈道ある御代〉が、〔巻第十・九八五〕では悟りの境地に達する〈まことの道〉が、〔巻第十六・一五七八〕では畏れ慎むべき臣下の道である〈君に仕ふる道〉が、〔巻第十八・一七六三〕では家芸である蹴鞠と歌の〈君が代に逢へるばかりの道〉が、〔巻第十八・一八一四〕では我が子への恩愛を詠う〈子を思ふ道〉があります。

 わが道を守らば君を守るらむよはひはゆづれ住吉の松〔巻第七・七三九〕
 近江のや坂田の稲を掛け積みて道ある御代の初めにぞ春く〔巻第七・七五三〕
 悟りゆくまことの道に入りぬれば恋しかるべき古里もなし〔巻第十・九八五〕
 朝ごとに汀の氷踏みわけて君に仕ふる道ぞかしこき〔巻第十六・一五七八〕
 君が代に逢へるばかりの道はあれど身をば頼まず行末の空〔巻第十八・一七六三〕
 位山跡を尋ねて登れども子を思ふ道になほまよひぬる〔巻第十八・一八一四〕

 以上のように和歌における道を見てきましたが、最後に次の歌を挙げて締めとしたいと思います。

 奥山のおどろが下も踏み分けて道ある世ぞと人に知らせむ〔巻第十七・一六三五〕

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西部邁

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