皆様、ご存知であろう、毎年7月13日~16日にかけて行われる靖国神社のみたままつりでは今年、夜店の出店を見合わせることになりました。
4日間で30万人を超える人出があるみたままつりが、今回の夜店出店の取りやめを判断したことは、実は、日本における「祭」のあり方を改めて考えさせられるきっかけでもあると思います。
有志が始めたみたままつり
そもそも、みたままつりは靖国神社主導で始まったものではありません。
所功氏の文章に寄れば、昭和21年に、長野県から来た英霊の遺族の方々が靖国神社で奉納盆踊りを有志で始められたことがきっかけでした。当時は、国家神道制度を解体し、GHQからは靖国神社を焼き払う案も出ていました。ただ、庶民が自発的に集まることでGHQ高官も認識を新たにし、靖国への信仰を認めるような発言をしたようです。
その後、靖国神社が主催となり、盆踊りにあわせて、さまざまな祈祷などを行い、都内で最も早い盆踊りとして、今日の賑わいを得るにいたりました。
ここではずしてはいけないことは、最初に始まったのが有志による盆踊りだったことです。
先祖をまつる盆踊り
詳細は別稿に譲りますが、日本の信仰の中核には先祖供養があります。夏になると日本各地で、行われる盆踊りは先祖が現世に帰ってくると考えられている「盆」という言葉を掲げています
つまり、みたままつりの趣旨は後にも先にも、盆踊りを中心として、靖国に帰ってくるみたまに「私たちは元気でやっていますよ」と伝えることです。
その目的が途絶えてしまった瞬間、みたままつりは「祭」ではなく、同じ時期、同じ場所で行われる「イベント」に成り下がってしまうでしょう。
「イベント」の目的は集客のみ
さて、「イベント」と「祭」の違いは何かということを簡単に述べさせていただきましょう。
「イベント」はどこまでも、集客を目的にしたものです。英語で表記すると、”event”であり、接頭語のeとventに分けられます。Ventは「来る」という意味で、eは「外から」といった意味合いを持ち、“event”という言葉は、「外から何か、あるいは誰かが来る出来事」という意味合いになります。
つまり、「イベント」の成功は、どこまでも集客の数に左右されることになります。
ですから、「イベント」の設定は人々にとってより魅力的であり、好奇心をくすぐるようなものになっていきます。
「祭」が「イベント」になる段階
私はこれまで、「祭」が「イベント」に堕ちていってしまうことをよく目にしてきました。皆さんも地元の盆踊りやお祭を思い出してください。盆踊りで人が踊らないから、音頭がかからなくなり、櫓も立たなくなり、最終的には、夜店が所狭しと並び、人々はその夜店の周りに群がっている様子を誰しもご存知かと思います。
そうなってしまうと、「イベント」を続ける意味がなくなってしまうのです。本来は「祭」を維持するために人が集まっていたにもかかわらず、人を集めるために人が集まるという自己目的化が起こってしまいます。
夜店の取りやめは「イベント」化からの脱却
そういう意味で、私は今回の靖国神社の判断を支持します。
今の時代、風営法の改正などもあり、人が集まったことによって秩序が乱れたときにトラブルの責任は間違いなく主催者側に問われます。その「祭」と全く関係のない人間の起こしたトラブルにより、営々と続いてきたみたままつりの開催を断念せざるを得ないこともありえる時代です。
そこで、本義に立ち返り、「みたまにありがとうを伝える」という「祭」であり続ける。その思いに共感した人々が7月13日~16日、提灯に照らされた九段に集えばいいのです。
皆さんも、みたままつりの「新しい門出」に立ち会ってみてはいかがでしょうか?
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