下卑たオヤジを笑え!そしてそうはなれない自分も笑え!?―ドクター非モテの非モテ教室(その五)

前回までの記事は以下をご覧ください。
ドクター非モテの非モテ教室(その一)
君はブスを笑うことが出来るか!? ドクター非モテの非モテ教室(その二)
伊集院光はダメ男を愛す!? ドクター非モテの非モテ教室(その三)
祝!深夜の馬鹿力1009回!伊集院はラブコメ作家だった!?ードクター非モテの非モテ教室(その四)

幻のコーナー「思エロ・セピアエロ」

助手:えぇと、今回は「童貞系」コーナーの本質を語ると共に、「ラブコメ」は「マッチョ」だという説について説明する回だよね。

博士:お前さんも随分とムチャを言うのお。そもそもラブコメが流行し出した80年代、従来はスポーツやバトルをテーマにしていた少年漫画が軟弱になったモノだ、的な批評が盛んになされたはずじゃぞ?

:えぇ、それはそれで間違ってはいないわね。
 でも、そうしたあだち充的、高橋留美子的なラブコメ漫画では「男が女のために努力し、恋敵と戦って打ち倒し、トロフィーワイフ*1としての女をゲットする」という価値観が息づいているわ。タッちゃんは南を甲子園(=社会的価値)に連れて行くために頑張ったのよ。

博士:うむ、なるほどその考えはわからぬではない。要は比較の問題で、前時代的なスポ根、番長漫画よりはマシとは言え、それでもまだなお、ラブコメは女性に対するマッチョな価値観を残していたというわけじゃな。

:えぇ。でも、90年代から世の男子はいよいよマチズモを失っていった。そのことは、『エヴァ』や「草食系男子」といった流行語を考えればわかるわよね。
 伊集院のネタや萌え文化は、そうしたご時世に対する男子たちの「適応」の結果だと思うの。

博士:うむ?

:だっていわゆる「萌え」系では「頑張って女性を勝ち取る」というモチーフは希薄だもの。むしろ男性は受け身だったり、複数の女性から一方的に求愛されまくったりといった図式が普通で、80年代的なラブコメのお約束からは逸脱していると言えるわ。

博士:バカな! 黙っていても女が寄ってくるなど、女性をバカにした表現じゃ!!

助手:フェミニズムに理解を示してる人に限ってそう言うよね……男が女にマッチョに接したら接したで怒るクセに……。

:そう、今のお兄ちゃんの指摘は重要ね。要するにフェミニズム以降、男子たちは女子たちのダブルバインドに動きを封じられたってことよ。「萌え文化」は「恋愛」をあきらめた男子たちが作り上げた、「恋愛とは似て非なる、仮想世界の美少女とのかかわり」であり、伊集院の「童貞系」コーナーは「現実世界における、恋愛やセックスの前でたじろぐ自分たちを笑おう」との試み。
 例えば「思エロ・セピアエロ」というコーナーがあったの。

博士:非常に短命なコーナーじゃな。

:でも、非常に印象的なコーナーで、中でも――長すぎて紹介しづらいんだけど――「風俗島」についての投稿は白眉だったわ。
 以下にごく簡単に要旨だけをまとめるわよ。

 投稿者の「ぼく」が住んでいた地方には「風俗島」があった。海岸からモーターボートで五分ぐらいかけて行く、風俗店で埋めつくされた島だ。
「ぼく」と親友のBは中学生時代その噂を耳にして、妄想をたくましくしながら日々を過ごしていた。そして高校生の夏休み、二人はバイトで貯めたお金を手に、それも(オヤジたちに紛れて)モーターボートに乗る勇気も持てず、ゴムボートで風俗島へと乗り出した。

博士:わくわくするのお、その後どうなるのじゃ?

 ゴムボートが進まないのに焦れ、とうとう泳いで渡った二人が風俗島で見たものは、おっぱい型の建物の建ち並ぶドリームアイランドでもエロディズニーランドでもなく、「非道く古臭い下世話な街並み、女性器名称が書かれたネオン、親父たちに群がる厚化粧のおばさん、呼びこみの親父のダミ声」といった、想像とは全く違う景色。
 方言丸出しのじいさんに「小僧、泳いでやりに来たのか?」、おばさんには「ボクちゃんだったら、おばさんがうんとサービスしてあげるよ」とからかわれ、二人はそのまま島から帰った――。
(2004年2月23日放送分)

助手:( ;∀;)イイハナシダナー

博士:まあ、ただこれは『パンツの穴』的な(海外で言えば『ポーキーズ』的な)映画の系統じゃな。

:奇しくも伊集院はそうした映画を「童貞映画」と呼んでるけど、でもちょっと違うと思うわ。そうした映画はヒロインをアイドルがやったりしてるし、やっぱり「ラブコメ系」なのよ。対して伊集院のネタは聞いていても男の姿しかなくて、女の姿が見えないもの。

助手:えぇと、まとめると「馬鹿力」以前は「ラブコメ」系コーナーをやったりでまだ恋愛に夢を見ていたのが、「馬鹿力」以降はあきらめが支配するようになった。かつて夢見られていた恋愛は、「萌え文化」が仮想世界で何とか命脈を保たせている、一方、伊集院は現実世界での男の気持ちを描くことを引き受けている、という感じかな?

:そうね……だからこそこの「童貞系」のネタには、上に見たようなセックスへの潔癖症的感覚、風俗島のじいさんへの嫌悪感が時おり顔を出すことになる。

→ 次ページ「『ミソジニー』は実は『オヤジニー』だった。合点していただけたでしょうか。」を読む

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西部邁

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