『日本式正道論』第一章 道の場所
- 2016/7/8
- 思想, 文化, 歴史
- seidou
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第二節 随筆
随筆とは、自己の見聞・体験・感想などを筆の任すままに書いた文章のことです。
日本三大随筆の中から『方丈記』と『徒然草』を選んで、無常と道の関わりを見ていきましょう。
第一項 方丈記
『方丈記』は、鴨長明(1155~1216)による鎌倉時代初期の随筆です。
鴨長明は、賀茂神社の社家生まれの歌人です。遁世し、その生活と心情を記した随筆である『方丈記』は、世と人の無常を説きます。多くの古典を踏まえ、和漢混淆文で書かれています。日本人の人生観・世界観に多大な影響を与えました。無常観を表現した文章の代表的な古典とされています。
その無常観は、圧倒的な美しさをたたえています。『方丈記』は〈行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。世の中にある人と栖(すみか)と、またかくの如し〉という流麗な文章から始まります。うたかた(泡沫)とは、水面に浮かぶ泡のことです。世の中の人や住処は、泡沫のようにすぐ消えてしまうというのです。
人間そのものに対しては、〈朝に死に、夕に生るる習ひ、(ただ)、水の泡にぞ似たりける〉と語られています。朝に死ぬ人もいれば、夕べに生まれる人もいます。まさに人間は水の泡ごとくです。それに続いて、〈知らず、生れ・死ぬる人、何方より来りて、何方へか去る〉と問われます。この問いは実に重要です。生まれるということと、死ぬということは、究極的には知り得ないものなのでしょう。どこから来て、どこへと去って行くのか。問いは発せられども答えはなく、〈また知らず、仮の宿り、唯が為にか、心を悩まし、何によりてか、目を悦ばしむる。その主と栖と無常を争ふさま、言はば、朝顔の露に異らず〉と続きます。無常の世における仮の住処は、誰のために心を悩ませ、何によって楽しみ得るのでしょうか。その主人と住処が争うように変遷するさまは、あたかも朝顔とその露との関係と同じだと語られています。
無常の修辞の末、最後には〈自ら、心に問ひて曰く、世を遁れて、山林に交はるは、心を修めて、道を行はむとなり。しかるを、汝、姿は聖人にて、心は濁りに染めり〉とあります。自らの心に問いかけてみると、世を逃れて山林に入るのは、仏道を修めるためだといいます。しかし、風采は聖人のようでも、その心は煩悩にまみれているではないか、と。そして自問は続き、終わりをむかえたとき、〈その時、心、さらに、答ふる事なし〉と、幕が閉じられています。
第二項 徒然草
『徒然草』は、吉田兼好(1283頃~1352頃)による鎌倉時代末期の随筆です。
吉田兼好は、歌人であり、随筆家でもあり、遁世者でもありました。随筆『徒然草』の内容は多岐にわたり、世と人の無常を論じ、仏道修行の重要性を説いています。中世の知識人の思索の跡が、多彩な文体で表現されています。
〔第七段〕では、〈あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の烟立ち去らでのみ住み果つる習ひならば、いかに、もののあはれもなからん。世はさだめなきこそ、いみじけれ〉と語られています。無常だからこそ、この世は素晴らしいのです。それゆえ、〈飽住み果てぬ世に、みにくき姿を待ちえて何かはせん〉と語られています。〔第四十九段〕では、〈人はただ、無常の身に迫りぬる事を心にひしとかけて、つかの間も忘るまじきなり。さらば、などか、この世の濁りも薄く、仏道を勤むる心もまめやかならざらん〉とあります。人はただ、死が身に迫っていることを意識し、つかの間もそれを忘れてはならないとされています。そうすれば、この世への未練も薄れ、仏道へ専心する心も強くすることができるのだと語られています。
仏の道に関して〔第五十八段〕では、〈心は縁にひかれて移るものなれば、閑かならでは道は行じがたし〉とあります。心は縁というものに導かれて移るものなので、閑かさの中でなければ道を修めるのは難しいとされています。そこで〔第七十五段〕では、〈いまだまことの道を知らずとも、縁を離れて身を閑かにし、事にあづからずして心をやすくせんこそ、しばらく楽しぶとも言ひつべけれ〉と語られています。まだ道を悟っていなくとも、俗縁を離れて閑静に身を置き、世事にかかわらず心の安定を得るとすれば、一時的にせよ、心が満たされるというのです。さらに〔第九十二段〕では、〈道を学する人、夕には朝あらん事を思ひ、朝には夕あらんことを思ひて、かさねてねんごろに修せんことを期す〉とあります。仏道を学ぶ人は、夕には翌朝を思い、朝になると夕方を思って、その時にあらためてじっくり修行しようと心に期す必要があるというのです。
武の道についても言及されています。〔第八十段〕では、〈兵尽き、矢きはまりて、つひに敵に降らず、死をやすくして後、始めて名をあらはすべき道なり〉とあります。兵力は尽き果て、矢を射尽くし、最後まで敵に降らず、平然と死を迎えてから、はじめて名声が得られるのがこの道なのだというわけです。
道全般についても〔第百五十段〕で、〈天下の物の上手といへども、始めは不堪の聞えもあり、むげの瑕瑾もありき。されども、その人、道の掟正しく、これを重くして放埒せざれば、世の博士にて、万人の師となる事、諸道かはるべからず〉と述べられています。名人もはじめは下手と噂されて欠点もあるものです。ですが、道の掟に正しく重んじて勝手なことをしなければ、皆の師となれると語られています。これはどの道でも同じことだというのです。
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