ゲームセンターを滅ぼしたプリクラとたまごっち
そういった、殺気だった空間を直接的あるいは間接的に滅ぼしたのは、個人的にはプリクラとたまごっちだったと思います。
まず、プリクラですが、登場したのは1995年とちょうど、90年代の真ん中でした。当時のゲームセンターなどに置かれた際、これまでの利用客とはそぐわぬ女性の特に10代の客層が間違いなく増えていきました。近年でも、「男性だけでのプリクラ使用、お断り」という張り紙が残っていますから、当時のプリクラに対する男性の利用は限定的だったといえるでしょう。
客層の変化をもたらしたという意味ではゲームセンターの持っていた緊張感や殺気というものは緩和されていったといえます。
また、間接的に手を下した、たまごっちです。たまごっちの登場は1996年で、それ以降さまざまな類似品が登場するほどブレークしました。
たまごっちがゲームというものに対して起こした革命は、プレーヤーとゲーム機の主従関係が入れ替わったということです。それまで、ゲームに対して、プレーヤーは能動的な働きかけ(電源を入れるとかゲームセンターに赴く)といったことが前提にありましたが、たまごっちは持ち歩いている間は全て待機時間であり、たまごっちからの呼びかけ(ご飯の時間やトイレの時間など)によって突如プレイが始まるといった内容です。
どうして、たまごっちがブレイクしたかという分析はまた別に譲りますが、少なくとも、たまごっちのようなゲームのシステムを基準に考えると、1プレイごとに100円払って、刹那のパフォーマンスを競うアーケードゲームなどは理解するには難しすぎる存在だったでしょう。
ゲームセンターよ、永遠に!
しかし、私たちが、アーケードゲームに触れる場所がなくなったかといえばそういうわけではありません。
ボーリング場の一施設やショッピングセンターの一角にはまだまだ、アーケードゲームがならんだ空間が健在です。けれども、そこには私の記憶の中にある、ダーティーで危ない雰囲気はどこにもありません。
私はロマン主義者ではないので、別にあの雰囲気をもう一度というつもりは毛頭ありませんが、あそこにあった影は一体どこに言ってしまったのか。逆にさらに色濃くなったのか。それとも、インビジブルになってしまい、偏在しているのか。
いずれにせよ、最後に一言。
「ゲームセンターよ、永遠に!」
※第11回「フラッシュバック 90s
【Report.11】90年代にいた秋元康」はコチラ
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