テロリズムを「劇場化」するメディア報道
- 2015/4/6
- 社会
- feature4, WiLL
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進んでいる欧米の議論
また、戦争や紛争などに関するマスメディア報道は、現地に入ったフリージャーナリストに依存せざるを得ない状況である。これは企業としてのコンプライアンス上、生命の危険がある地域に自社の記者を派遣できないとするマスメディアの対応からくるもので、「コンプライアンス・ジャーナリズム」と呼ぶべきものである。
その結果、戦場に入って報道するのはフリージャーナリストが中心となり、戦争、紛争やテロリズムの犠牲となる構造が発生している。今回のイスラム国邦人人質事件にも、このような事情が背景にある。
このように、テロリズムの問題をメディア、ジャーナリズムが克服するためには、数多く存在する問題を解決しなくてはならない。
戦争やテロリズムなどの安全保障問題に関して、メディアと政府がどのような関係を構築すべきかについて欧米ではさまざまな研究や議論がなされてきたが、長年タブー視されてきた日本では議論が進んでいない。
危機事態における政府とメディアの関係には、①政府による検閲、②政府とメディアの調整、③メディアの自主規制の三パターンが存在する。
現代において、①検閲は北朝鮮や中国のような一部の国々、強権国家にしか存在しない。②政府とメディアの調整に関する代表例は、イギリスのDAノーティス制度(Defence Advisory Notice)である。
イギリスは戦争やテロリズムといった安全保障に関する報道に関してDAノーティスという制度を持っており、DPBAC(Defence, Press and Broadcasting Advisory Committee)という組織にBBCなどのテレビ局、デイリー・メールやガーディアンなどの新聞社、通信社やネット業者が参加し、国防省などの政府機関とともに安全保障に関する報道内容を検討して調整するという制度を一九一二年の第一次世界大戦以前から百年以上、維持してきた。
また、③メディアの自主規制の代表例はアメリカであるが、アメリカの新聞社やテレビ局などのマスメディアには、テロリズムについてどう報道するか、戦争における報道のあり方について膨大な報道ガイドラインが構築されている。
これは第二次世界大戦後、ベトナム戦争や湾岸戦争、イラク戦争など数多くの戦争を経験し、TWA847便ハイジャック事件やイラン米大使館人質事件など、数多くのテロリズムを経験してきたアメリカのメディアが歴史的に構築してきたものである。その歴史のなかで、アメリカはペンタゴン・ペーパー事件のような政府とメディアの対立を克服してきた。
テロ報道体制の構築を
イギリス的な①政府とメディアの調整による協調・調整型を目指すべきか、アメリカ的な②メディアの自主規制による対立・克服型を目指すべきか、テロリズムや戦争など安全保障をめぐる政府とメディアの関係において、日本型のシステムが求められている。
残念ながら、日本にはイギリスのような調整型の制度も、アメリカのようなメディアの重厚な報道ガイドラインも存在していない。イギリス型を目指すべきか、アメリカ型を目指すべきか、または日本独自のシステムを構築するか、テロリズムや戦争などの危機管理をめぐる政府とメディアの議論を始めなくてはならない。
テロリズムの問題という一点をみても、日本の危機管理体制構築、研究としての危機管理学の構築は遅れていると言わざるを得ない。テロリズムや有事、危機管理の問題を決してタブー視することなく、民主主義におけるシヴィリアン・コントロールの観点からテロリズムの問題を考えるところから、オールハザード(ありとあらゆる危険を想定)で日本の危機管理を考察し、体制を構築すること、さらにはそれを研究する危機管理学の構築が求められている。
〈参考文献〉
福田充『メディアとテロリズム』新潮新書(二〇〇九)
福田充『テロとインテリジェンス~覇権国家アメリカのジレンマ』慶應義塾大学出版会(二〇一〇)
この記事は月刊WiLL 2015年4月号に掲載されています。他の記事も読むにはコチラ
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