最近は、三島由紀夫の自決について取り上げることが多いのですが、先日、京都大学の佐伯啓思先生の『学問の力』という本を読んでいたら、そこにこのような事が書かれていました。
だから、ダラダラ続いた全共闘運動よりも、1日で終わった三島事件のほうが衝撃は大きかった。(中略)
三島は、たった一人で戦後というものの欺瞞に対する徹底的な批判をしたわけです。たった一人でという意味は、戦後、平和主義や人権主義に対して言論上での批判を行ってきたいわゆる保守派の知識人はそれなりにいるのですが、その平和主義や生命尊重主義を行動によって身をもって打ち破ろうとしてみせたのは三島ただ一人だったということです。
むろん、これは重い問いを常に突きつけてきます。ある意味では、戦後を批判することをもっと難しくしてしまったともいえます。「戦後を批判するなら、どうしてオレと同じようにしないのだ」という問いかけを常に三島は発してくるからです。私自身、この問いにはいまだに答えることはできません。
私も三島事件に関しては、その意味について考えさせられることが非常に多い事件であると常々思っていたのですが、佐伯啓思さんがこのように書いているのを読んで、ああやはりそれだけの意味を持った事件なのだなと改めて思いました。
また、同時に、三島由紀夫の書いた文章を読むと、現代の日本人からは失われて久しい、(もっとも、過去にそれが存在したことを確認するすべはないですが)過去の日本人が持っていたという美徳や規範意識、道義というものについて書いているものも多く、もし三島が長生きをして言論活動を継続していれば、もう少し日本は良くなっていたのではないか?などと考えることもあります。立派な気高い死を自ら選び取ってみせるという三島の美意識は素晴らしいと思いますが、また同時にやはり学者や思想家は長生きをした方が勝ちというような側面もあり、やはり短命で終わった学者や作家よりも、長生きをして長期間活動を続けた人間のほうがより大きな影響力を及ぼせるというのもまた一つの事実でもあるわけです。
では、果たして、三島は潔く自決をしてみせたのが良かったのか、それとも長生きをして長期間言論活動を続けたほうが良かったのか?この問題は一見単純なように見えて、その実相当に複雑でやっかいな問題を孕んでいます。私、個人の考え方としては、やはり三島は長生きをして(あえてダラダラという言葉は使いませんが)長期間言論活動を続けるよりも、あのような自決という決断を下すことで、自らの生き様、死に様をもってして、その思想、主張を体現させたというそのことの意義は非常に大きいと思っています。
しかし、ここには非常に厄介な問題が存在しており、それが何かというと果たして現代の日本人には、この三島由紀夫の決断や行動から、何かしらの意義を汲み取り、感じ取ることが出来るだけの感性を保持しているのか?という問題が残っているのです。
以前、書いた記事(『私徳と公徳のジレンマ』)で、私は、
結局のところ、社会がおかしな状況になっている、もっといえば、社会的に広く共有されている評価尺度が歪んでいれば、本来なら評価されるべき人間が軽んじられ、逆に本来軽んじられ、軽蔑されるべき人間が評価されるなどという現象も起きてくるのでしょう。
と述べましたが、たとえ三島由紀夫の決断や覚悟が非常に深い意義を持ったものだったとしても、戦後日本人の中に、その三島の決断や行動から様々なものを読み取れるだけの感性が摩耗し残っていない可能性があるのです。
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