全く勝算のない戦いにおいても勇進することで、武士の気風が保持される
そのような可能性があるという根拠を一つあげてみましょう、例えば、福沢諭吉は敵に対して勝算がない場合でも、力の限り抵抗することが痩我慢(「殺人散財は一時の禍にして、士風の維持(=痩我慢)は万世の要なり」を参照)であると言い、全く勝算のない戦いにおいても、家のため、主人のためとあれば、必敗必死を眼前に見てもなお勇進し、いよいよ万策尽きたら討ち死にするのみで、かくありてこそ痩我慢の精神が全うされ、そのような行動を取ることにより武士の気風が保持されるのだと諭吉は主張するのです。
この、福沢の痩せ我慢の説をもって、小林秀雄は戦後、神風特攻隊の特攻作戦を称して究極の痩せ我慢であると称したのですが、さて果たして、福沢が主張したようにこの特攻隊の尊い犠牲である究極の痩せ我慢をもってして戦後の日本人の中に武士の気風が保持されたでしょうか?
残念ながら、この問に関して私はノーというほかないのではないかと思います。無論、神風特攻隊の隊員たちはこれからの日本人の誇りのためにこそ、あえてその危険な任務に挑んだのでありますが、では果たして戦後の日本人は、そこから何を汲み取ったでしょうか?
はっきり言ってしまえば、戦後の日本人のほとんどは、この特攻隊の隊員たちの決意や勇姿から何を汲み取ることが出来なかったばかりか、それをしようともしませんでした。それどころか、こともあろうに戦後の日本人は、特攻隊のエピソードを聞いて、
「あー、やっぱり戦争はたくさん人が死んで怖いし嫌なものだよね。戦争で死んでいいった人たちは可哀想だよね。特に、軍部の命令で無理やり強制的に自殺行為をさせられた特攻隊の人たちは本当に可哀想。それに比べて戦争に行かない私たちは幸せだよね。」
などと言っているわけです。評論家の西部邁さんは、そういった意味で戦後の日本人は相当に呪われた種族なのだと述べたことがありますが、全く同意します。ただ、一つ付け加えるとするならば、「この先の日本人の民族の誇りのために」と思って死んでいった人たちよりも、その彼らの高潔さを露とも汲み取ることができず、これほどまでに卑しい解釈しかすることのできない、貧困な感性を持って生きる現代人の方が、おそらくは主観的には遥かに不幸であり、同時に客観的には遥かに惨めで卑しい人生なのだろうと点も常に考慮すべきであろうと思われます。
いうまでもなく三島由紀夫は、
二十五年間に希望を一つ一つ失つて、もはや行き着く先が見えてしまつたやうな今日では、その幾多の希望がいかに空疎で、いかに俗悪で、しかも希望に要したエネルギーがいかに厖大であつたかに唖然とする。これだけのエネルギーを絶望に使つてゐたら、もう少しどうにかなつてゐたのではないか。私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。
という言葉から理解できるように、戦後日本に対し、最も深く絶望した人間の一人なのでありますが、また同時に、人生の最後にこのような戦後日本に対する最大級のアンチテーゼを示したこのパフォーマンス(もっとも、三島からするとこれは自己表現ではなく、自己犠牲なのでしょうが)を行ったということは、三島はこれほど深く絶望しつつも最後の最後、日本に対する希望を捨てきることが出来なかったということでしょう(仮に、真に完全に絶望していたのであれば、むしろ三島は「それほど否定してきた戦後民主主義の時代二十五年間、否定しながらそこから利益を得、のうのうと暮らし」続けるか、自室で一人ひっそりと自決したはずです)。
しかし、やはり三島は絶望していたのだという観点から考えるならば、もはや三島は日本人の大多数から自分の行動は誤解されるのだろうと覚悟しながらも、わずか少数の人々だけに自分の行動から何かを汲み取ってもらえれば良いとそのように感じたのではないかと思います。
最後に一言。本来であれば、この三島事件というものは小賢しい理屈をごちゃごちゃと並べ立てて、アレコレ解説するのがふさわしいような事件ではないのではないかと思います。しかし、ただ私自身感性の摩耗しきった戦後日本人のうちの一人として、態度や生き様のみから全てを飲み込めるだけの感性も知性も持たない人間としての立場から、あれこれと自分の考えたこと感じたことを文章にしてみました。藤井聡さんや福田恆存の言うように、男は黙ってサッポロビールで、一人の人間の態度や生き様から全てを汲み取り、学び取れれればどれだけ素晴らしいことかなどと考えながら、しかしそういかないという現実の悲しさを味わいながら、今日もアレコレと小賢しい理屈を書いているわけであります。
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