伊集院光はダメ男を愛す!? ドクター非モテの非モテ教室(その三)
- 2015/1/26
- 文化, 社会
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要するに「ホモソーシャル」などというものはない。合点していただけたでしょうか?
妹:ここで語られているのは、決して格好よくない、それでも天気の悪い日に、とにもかくにも航海してきた、友情の姿よ。
●おい、聞いてくれ聞いてくれ! 今、『マリオカート』で新しいルート見つかったんだよ!あ、会議中? ゴメン……何かゴメン。
2010年07月05日放送分●小学生の頃、何回やっても君に勝てなかった、ファミスタ。最後に「俺に勝つなんて二十年早いんだよ」なんて捨て台詞まで言われて、悔し涙を流しました。さあ、二十年経ちました。今日まで、練習を重ねて参りました。今一度ファミスタで勝負!!
え? 仕事で無理ってどういうこと……?
2009年9月28日放送分
博士:う〜む、このニートの方、とっとと就職しろ、という感じじゃな。
妹:それだけ?
助手:「それだけ?」って……他にどんな教訓を、上のネタから読み取れと?
妹:教訓というワケじゃないけど……このニートの方が就職すれば、問題は解決するのかしら?
博士:まあ、就職したら忙しくなるじゃろうから、マリオとかファミスタをやるのは難しくなるじゃろうな。しかしそれについてワシにどうしろと?
助手:いや、問題は友情でしょ? 確かに、同じ会社に入社というのは難しいかも知れないね。
妹:いえ、仮にそうしたとしても、社会人になるとこの二人の利害は究極的には一致しなくなるわ。ことに結婚でもしたらね。
助手:え? だから……?
妹:男と男は、基本的には敵同士なの。それは別に「男同士の絆」がニセ物だからじゃない。「男が社会に出る性だから」なの。
博士:なるほど! フェミニズムの教える通り、女性も社会に進出することでそうした硬直した社会を破壊する必要があるわけじゃな!!
助手:え……えぇとぉ……社会に出た者が利害の一致を見なくて敵対する、という傾向は、別に女性が社会に出ても変わらないんじゃ……?
妹:そう、具体的にそこを変える方法を提案するならともかく、「ホモソーシャル」なんて言葉で男性たちを罵っているだけじゃ、問題は解決しないわね。
博士:う……うるさいやいっ!!
おっす! 今日お前、誕生日だろ? すげえプレゼントやるよ。この袋、何だと思う? じゃんじゃじゃ〜ん! アダルトビデオのDVDごじゅっぽ〜ん! まあ、余ったヤツが多いけど、中には俺のアダルトビデオランキング1位だったDVDとか、後ほら、お前がさんざん欲しがっていた例のDVDとかも入ってま〜す! お前なら、大切に使ってくれると思って……困る? あ、今、彼女と同棲? あ、今から彼女と二人で誕生会を……それではこれは持って帰りま〜す! 二人でお元気で〜〜!!
2010年04月26日放送分
妹:男女が愛しあい、家庭を持つという社会のお約束を前提する限り、男と男の友情は「社会のシステムに落とし込む」仕掛けを持たない、脆いモノなの。
助手:そんな……! それじゃまるで「ホモソーシャル」なんて、弱い者いじめのための言葉じゃないか!!
妹:事実、その通りでしょう? 本来は企業社会で男が女を排除していることを批判する方便として持ち出されてきたはずのこの言葉*3が、今はオタクや非モテを叩くための言葉と化している……。
「いつか作家になる」と言っていたお前は風俗ライター、「俳優になる」と言っていた俺は汁男優。お互い夢、叶ったな!
2012年12月24日放送分
妹:わかる? 敢えて暴論を言うならば、これが男同士の友情の成就した唯一の形。だって彼らが成功したら家庭を持つでしょうし、そうなると友情の維持は格段に難しくなる。
伊集院は下町の出で、旧友たちが町工場なんかを継ぐ中、一人芸能界入りしたの。彼のトークからは、そんな友人と疎遠になったり、また若くして死んだ友人の影を背負ったりもしていることが垣間見えるわ……そんな伊集院が、このネタを読んだ時の気持ち、あなたにわかるかしら……?
助手:何か、スティーブン・キングの映画みてー。
博士:お……お前さんは「男同士の絆」が思われているほど強固なものでも、女性に対して利益を独占するためのものでもないと言いたいのじゃな……しかし、ならばフェミニストは何故、「ホモソーシャル」とか「ミソジニー」とかいった概念を執拗に攻撃しているのじゃ?
妹:それを説明するには伊集院の「童貞系」のネタを見ていくことが必要かも知れないわね……ということでそれはまた、次回。
*2 フェミニストが一時期、よく使っていた言葉で「男性に対抗するために女性同士の連帯を高めよう」的な意味の言葉のようです。男性の友情がそんなにも呪わしいのに、女性の友情はどうしてそこまで手放しで全肯定なのか、さっぱりわかりません。
*3 更に言うならば、この言葉を提唱したセジウィック『男同士の絆』でなされているのは主に男性二人、女性一人の三角関係についての考察であり、企業社会に適用すること自体が飛躍があるように思います。またそもそも、専らイギリス文学を分析したものであるため、著者自身が全世界的に普遍的かどうかについては保留している概念なのです。
■この記事に関連する動画はこちらご覧ください。
「毒舌な妹botの伊集院光教室(その2)(http://www.nicovideo.jp/watch/sm25433579)」
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