百田尚樹の「殉愛」に欠如していたもの
- 2015/1/5
- 文化
- 殉愛, 永遠の0, 百田尚樹
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ペテンの鉄則
話題は変わりますが、皆さんは一九八九年に流行した「一杯のかけそば」というお話をご存知でしょうか。貧しい家族が一杯のかけそばを分け合って食べる、までの記憶がギリギリではないでしょうか。物語のあらすじは、概略以下の通りです。
●舞台は七〇年代前半のとある年の大晦日。母親、長男、次男の貧しい三人家族が一杯のかけそばを分け合って食べる。
●翌年の大晦日も三人家族は一杯のかけそばを食べにくる。
●翌々年の大晦日、三人家族はかけそばを二杯注文する。父親が起こした事故の保険金支払いが終わった為、少しは家計が楽になったのだった。
●十数年後の大晦日、その三人家族が再び現れる。長男は医者に、次男は銀行員になっていた。三人は三杯のかけそばを頼んで食べる。
私はこの物語の顛末を、「若者殺しの時代」(堀井憲一郎・講談社現代新書)で知りました。堀井氏は、バブルは貧乏人のお祭りであり、無理をして必死で遊んでいた貧乏人が「一杯のかけそば」で一瞬貧乏を振返り、二度と顧みることのなかったのが一九八九年という、昭和最後で、平成最初の年であったと述べ、この物語が貧乏人であることを思い出させる効果をもっていたと指摘しています。
また、「一杯のかけそば」の作者栗良平氏は、流行の最中に大手マスメディアにインタビューを受け、物語は全て実話である、と言い切ってしまいました。このことが発端となり、栗良平氏の学歴詐称、詐欺容疑等、作者自身のいかがわしい部分にスポットライトが芋づる式に当たり、一杯のかけそばが持っていた物語としての神通力も損なわれてしまいました。この点について、堀井氏は「若者殺し~」の中で、世の中の人は騙す側と騙される側に二分され、栗良平氏は騙す側(ペテン師)であるが、前時代的、香具師的であり、叩けばすぐ埃が出てしまう、寧ろ埃が全部出ていったら本人がいなくなってしまうような種類の人間である、と評しています。その上で、人をペテンにかける時の心得として、「ペテンの鉄則」というものを提唱しています。内容を以下に引用します。
一、人をペテンにかけるときは、マスメディアを通さないこと。
一、フィクションをノンフィクションだと言ってペテンにかけると、金を取ってなくても人は怒るので気をつけること。
一、ペテン師は自分を売ってはいけない。ペテン師はペテンを売って細々と生きること。
因みに、鉄則その三には附則があり、その概要はこうです。いきなり有名になることはとても危険なので、徐々に有名になるべきである。徐々に有名になった場合は、昔から知っていた人たちがやんわりと身元保証をしてくれるからだ―。
一連の「殉愛」騒動と、作者の百田尚樹氏の言動について、これに優る箴言はないのではないでしょうか。「永遠の0」は現在、講談社で文庫化されておりますが、当初は太田出版という必ずしも大手とは言えない出版社が版元でした。発売は二〇〇六年ですが、ヒットしたのは二〇一二年と、実に六年という期間が掛かっています。映画版も多くのファンを掴んでおり、大袈裟ではなく日本人の世代の上下、思想の左右を問わず、時間をかけて浸透した作品だと言えると思います。愛は盲目といいますが、当代人気作家である百田氏が「殉愛」に足を掬われることが無いように祈ります。
*1福田恆存が清水幾太郎という転向評論家を評して使った比喩で、もともとは演劇業界の隠語。出番に遅れる(トチる)こと。
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